、死ぬなどということは思ってもみない、また思いようないこのごろの生活を考えた。
広い世の中では一日に幾人人が死んで行くだろう? 十人死に、百人死に、千人死んでいるかもしれない。が、その中に私は生きている。しかもこうやって達者で、することも沢山あり可愛がられて生きている。
私には総て消極的な考えが出来ない。
私はどんなに困ったことに会っても――もちろん私の狭い天地で湧いたり消えたりすることは何でもない下らないことなのだろうけれども――どうにかやってしまう。
死のうと思うより先ずどうして突き抜けようかと思う。そして、私は自分の頭の乾《ひ》からび鈍くなり、もうほんとうに生きている意味がなくなるまでは、どんなにしてでも生き抜こうと思って、思い定めているのである。それ故私は、昔の婦人達のようにすぐ命を捨てることは、どんなにしても出来ない。
私の生活に意味のある間は死ねない。
けれども私の今直ぐ傍では、こうやって二人も死んでいる。而も皆|尋常《なみ》の死にようをしたのではないじゃあないか?
私が若し、あの夜あの林へ行きかかって新さんの死のうとするのを助けたとしたら?
私は一生懸命に止めるだろう。体をなおしてまた働くようにと云うだろう。けれどもそれでほんとうに助けたといえるだろうか。私には、どうしても、ただあのとき、あの木の枝から新さんを離しただけのことじゃあないか。
私は新さんの一生を守って暮すことは出来ない。年中心を励ましつづけてはいられない。そして、僅かばかり療治され、金をもらい、貧しく辛く淋しい世の中に突き出されたところで、何がうれしかろう。
「俺れは救われた。けれどもどうしようというのだ? 前よりも辛い思いをし、苦しみもがいて生かして置かれることはちっとも欲しくないのだ! お前は一人の人間を助けたということに満足して、いつまでもたのしむだろうが、俺れはいつでも、『あのとき死んだら』と悔まなくちゃあならぬ」
私はほんとうに、若しあのとき新さんを助けたところで、一生を確かに強く、虐げられずに送らせることが出来なければ、何でもないことになってしまう。
死のうとする者は救《たす》けるべきだという常套的な感情に支配されて、その者の一生を考えるより先に、自分の心に満足を与えるのじゃあないか?
私はここに思い至ると、今までのすべてがグザグザに壊《くず》れてしま
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