宝に食われる
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)悠《ゆっ》くり
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)多分|馬酔木《あせび》というのだろう、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九二五年七月〕
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この間、ほんの四五日であったが奈良に行った。そして、短い時間に慾張って処々の寺にあるよい仏像などを見た。奈良には、十九ばかりの頃、中学三年生の弟と春休みに数日暮したことがあった。その時は大阪にいた親戚により、大阪から今はもう廃業してしまった対山楼に行った。梅林があり、白梅が真盛りで部屋へ薫香が漲っていたのをよく覚えている。何にしろ年少な姉弟ぎりの旅だったので、収穫はから貧弱であった。博物館で僅の仏像を観た位のものであった。然し、足にまかせ、あの暢やかなスロープと、楠の大樹と、多分|馬酔木《あせび》というのだろう、白い、房々した、振ったら珊々と変に鳴りそうな鈴形小花をつけた矮樹の繁みとで独特な美に満ちている公園を飽かず歩き廻った。三月末から四月五六日頃にかけての奈良の自然の快よさ! 桜時分だから東大寺の、銭を払っては一撞きつかせる焚鐘が殆ど一日じゅう鳴りづめだ。春日神社の囲りなど夥しい神鹿の姿も雑踏にまぎれるばかりの人出であった。が、妙なもので、素通りの見物人が通る大路はきっちり定っているものだ。その庭の白く乾いた道の上こそ、草履の端から立つ埃がむっとしておれ、たった一歩、例えばまあ三月堂から男山八幡へ行く道、三笠山へ出る道を右にそれて草原に出て見る、そこで人影はもう余程疎らだ。もう一寸、麗らかな太陽の下で情感ある蔭を重ねている矮樹を縫って更に奥へと進んで見る。――私は不意に自分を囲んだあの静けさ、諧調ある自然の沈黙に打れ感動した心持を今だに忘られない。私は、その時ひとりでに六尺ばかりに延びた馬酔木がこんもり左右に連り生え、云うに云われぬ優しい並木路で区切られた草原の一隅を見つけ出した。そこに腰を下し、私は恍惚として空想に耽った。
今度の旅行では、永年心に印象され憧れの胚種となっていたそれ等自然の感銘の上に幾分豊富な芸術的知識を加え得た。精神の活々する実に楽しい旅であった。けれども、寺々を歩いているうちに、時々私の心持を陰気にさせる一つのものがあった。それは、仏像拝観に
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