すると、実際サワ子が沖本によばれて、戸籍謄本を出すようにと云われた。
「いやあね、薄気味わるいったらありゃしない。沖本ったら、元来履歴書と一緒にどこだって出させているものだが、これまではみんな紹介だったから放っておいたんですって……形式だけのことだよだって云っていたことよ」
ミサ子は机の前に坐って小型の日記帳をつけていた。夕飯をすましたばかりで、階下《した》では煙草専売局へ勤めている亭主がラジオの薩摩琵琶を聞いている。
格子のあく音がして、
「大井田さん、お客様ですよ」
細君が階子口から呼んだ。立って行く間もなく、
「いい?」
勤めのまんまの装をした柳が登って来た。
「どうしたの」
「ちょっと」
ミサ子の机のわきに坐るとすぐ柳が、
「あなた今夜ずっといる?」ときいた。
「ええ」
「一人ひとを泊めてやってくれないかしら」
ミサ子は、
「……布団がないんだけれど」
と困惑そうな顔をした。
「いいのよ、窮屈でもおもやいにして泊めて貰えたらたすかるわ。十八ばかりの娘さんですよ……今度だけどうにかなればいいんだから……」
柳は何か頻りに考えていたが、
「その娘さん沢田って云って来る筈だから、どうぞよろしく」
半ばふざけてのように軽くお辞儀をした。
「多分九時頃来ますからね、心配はいらないの、寝させてさえやればいいんだから――」
ミサ子にはその娘がどんな仕事をしている人か略《ほぼ》見当がつくように思われた。
「私の友達ということでいいんでしょう?」
「結構だわ、じゃどうぞ」
どこか落つかない気持で待っていると、約束の時間より早めに、銘仙ずくめのおとなしい装の若い女がミサ子を訪ねてやって来た。
電燈の下で向いあったが、ミサ子にもその女にも、別に話すことがない。顔を見合わせ、何ということなく微笑みあった。沢田というその女は、やがて淡白な口調で、
「あしたあなたお早いんですか」と訊いた。
「私、勤めているんです。七時に起きりゃいいんだけれど、あなたは?」
「六時前に出かけたいから……そろそろやすみましょうか」
「布団がなくてわるいわね」
「私こそ、いきなり御厄介になってすみません」
沢田はミサ子を手伝って布団をしくと、行儀よく、だがちっとも遠慮せず帯をといて寝仕度をした。
ミサ子の仕度を待って、
「あなた、どっち側がいいでしょう」ときいた。
「どっちだって
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