雰囲気は、この頃の丸の内のどこの隅にもない。ぶらぶらと歩いている連中も気むずかしげに巨大なビルディングの下で、小さくごみっぽく見える。
 東京駅の正面車寄のわきの槇の植込みの前で三四人もう頭の薄くなった連中が日に向って並んで、ニヤニヤしながら仲間におとなしく素人写真を撮られていた。

        十一

 そろそろ時間になるので、ミサ子が衝立《ついたて》のかげで仕事着のスナップをかけているところへ、
「ちょいと」
 廊下かられい子が手招きをした。
「なアに?」
「化粧室へいらっしゃいよ、はる子さんから手紙が来たんですよ」
 思わず足を早めて行って見ると、廊下からは見えない一方の隅の鏡の前へ、柳をはじめしづ子、サワ子そのほか二三人がかたまって凝っとしている。
 れい子が真面目な小声で、
「大井田さん来てよ、見せたげて下さい」
と云った。黙ってしづ子が手にもっていた藤色のレターペーパーをミサ子の方へ出した。
 鵞堂流にくずした細いペン字が紙を埋めている。ミサ子は、書き出しのありふれた時候の挨拶のところはいい加減にしておいて、「私の今度の病気につきましては、本当にみなさまの心からの御親切なお慰めの言葉をいただきまして」というところから先を、気をつけて読んだ。はる子は持ち前の地味な気質から、自分の心持は表面に出さないように努めているのが文章の調子でよくわかった。それでも、この手紙を××○○会社の同僚一同へあてて書く気にまでなった圧えきれない熱いものが、切ないほど細い女らしい字のかげに溢れている。
「一昨日会社から使で解雇通知と金一封をいただきました。あけて見ましたら、百五十円也入っておりました。不束《ふつつか》ながら私が七年間こんな体になるまで会社につくした労力は、百五十円のねうちでございましたのね。ホホホホ………」
 ミサ子は、この文句を繰返し読んでいるうちに頬っぺたの下の方が鳥肌だって来るような強い感じにうたれた。
 みんな体を大切にして元気で暮すように。そこで働いていた間、みなさんが自分に優しくしてくれたのを忘られず、挨拶を書く。万一気がむいたら遊びに来てくれ。そういう言葉の終りに、さりげなく「私の病気も伝染性ではないそうで、そればかりはせめてもと思っております」といかにもはる子らしくつけ加えてある。――
 ミサ子は、しづ子に手紙を返しながら、
「慰問金のこと、ど
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