のよ、でもそれは表むきでね、はる子さんのとこへ手紙か何か会社から行ったらしいわ」
とよ子の話によると、はる子の病気は邦文タイプを打つ以上一旦なおってもまたすぐわるくなるから、この際、もっと健康に適した職業にかわることを会社から勧告して来たというのだ。
十
××○○会社では食堂が地下室と二階と、ふたところに分れてあった。
二階の食堂の方は日に一円の賄をたべる連中ので、地下室は、ミサ子たちのような女事務員や給仕をはじめ、月給百五六十円までぐらいの社員達のためだ。上と下とでは階級がはっきり分れ、身なりも違った。上の食堂なんか見たことのないものが、地下室の細長いテーブルに向って、せかせか朝飯ぬきの昼をたべた。
その地下室の食堂の白い壁に、食物のカロリーを表に書いた厚紙が貼ってあった。大体、幸楽軒の請負経営にはこれまでもみんな不満で、不平が絶えない。カロリー表が貼り出された当時、男の社員たちは、片手をポケットへ突こんでその表を見上げながら、
「オイ、冗談じゃないぜ! これから鰊《にしん》と大豆ばっかり食わされるんじゃないか。科学もこうなっちゃ侘しいね」
と云った。
┌─────────────────────┐
│知識労働者の一日所要カロリーは二千三百です│
└─────────────────────┘
表のわきにこう書いてある。誰もそれを見ていい心持はしなかった。それだけ食えたら黙っていろ、というような押しつけがましい感じなのだ。
近頃、その地下食堂の食事がわるい続きだ。こないだはる子が悪いという噂があった頃から、ミサ子たち一団の女事務員連中が「モーリ」へ出かけるのは、今日では五遍目になる。
「ね、ちょっと! 馬鹿にしてるわね、蒟蒻《こんにゃく》と人参のお煮つけが、何千カロリーあるってんでしょう!」
しづ子が、「モーリ」の小さい丸い腰かけの上で窮屈そうに袂をかき合わせながら小声で腹立たしそうに云った。
「……でも狡いわ。見てて御覧なさい、あのカロリー表にはっきり書いてない材料ばっかりつかっているから」
れい子が、穏やかな、けれども飾りけない口調で、
「大抵のとき、マアあの調子じゃ八百から九百カロリーがせいぜいね」と云った。
「私たちの二十銭から毎日何百カロリーかずつ儲けさせているんだから大きいもんだ」
支那そば[#「そば」
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