生活の本体というものがわかって来そうな工合だ。
ミサ子は、思いが凝って上気《のぼ》せ、少し恰好のかわった奇麗な一重瞼をあげて、何ということなく、たべあらした膳ごしにテーブルのむこう端にいる柳の方を見た。
柳はいつものふっくら落着いた顔つきで、余り喋らずおだやかにミサ子を見ている。が、ミサ子はその眼差しから今は特別自分の心持に相触れる何かを感じた。
やがて、柳が、
「みなさん、どうオ」
と、持ち前のゆっくりした口調で云いながら椅子をどけて立ち上った。
「お天気がいいから、また四十分ピクニックやらないこと?」
「賛成!」
「私丸菱へ行かなくっちゃ」
ミサ子を入れて十人ばかりが、柳のゆれている濠端へ出て、初秋の日向を日比谷公園の方へ歩いて行った。昼休みが一時間ある。四十分ピクニックもいつとはなしはじまって、一月に二度ぐらい、日比谷公園の池の畔へ出かけたり、芝生で休んで来たりするのだ。
五
狭いコンクリートの階段を三階までのぼって行くと右側に小さい借室が四つ五つ並んでいる。廊下に雑巾バケツや脚立《きゃたつ》が出しっぱなしになっているという粗末なビルディングだ。
エスペラントの講習会はそこの一室である。
ミサ子が富士絹の風呂敷づつみを抱え、ソッとドアをあけて入って行くと、荒板を打ちつけて拵えたベンチにかたまって板をしわらせながらかけている連中の中から菅が、
「ヤア……ちょうどいいところだ、早く来なさい。みんな食っちまうヨ!」
と大きな晴ればれした声で呼びかけた。
エスペラント講習会には実にいろんな連中がやって来ていた。七八人いる女の中にも、女教師らしい洋装のひともいれば、役所づとめらしい地味な袴姿の三十前後のひともいた。男の方はもっと雑多で、若い勤人、労働者風のものから給仕らしい十六七の少年までをこめている。
めいめいの身分については互に余り喋らなかったが、ミサ子はこの講習会の雰囲気がいかにも親しめた。
講習がはじまるとき、中尾という黒い服を着た独身者らしい中年の講師が、
「この中で英語や何か、外国語を一つもやったことのない人がキットあると思うんですがちょっと手をあげてくれませんか」
と云った。そのとき菅は茶色のシャツを着た腕を最初にあげて四辺《あたり》を見廻した一人だ。
それからだんだん講習がすすんで何日目かに、
「君は労働者か?」
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