る人は友人にそうすすめたし、すすめられた友人は、じゃ、便乗させて貰うか、とのって行った。
こんな場合につかわれた便乗は、そのころはやり出した便乗ということばの、最も正統な、また最も素朴な使いかたであった。便乗という言葉は、バスにのりおくれまい、という表現と前後した。翼賛議員になる時勢のバスにのりおくれまいとあわてる人々の姿をからかい気味に形容したことばであった。
ところで、便乗という言葉はひところあれほどひろくはやったが、真実のところでは、日本の人口のどれだけの部分が、その人たちの生活の現実で時勢に便乗したのであったろうか。便乗という言葉が日本の津々浦々にまではやったのにくらべて、現実に便乗してしっかり何かの利得を掴《つか》んだという人の数がすくないのに、むしろびっくりしはしないだろうか。
戦争がだんだん大規模になって行った時期、軍需会社は大小を問わず儲けはじめた。ひところは小さい町工場でも人をふやして、下受け仕事に忙しくなった。けれども、一つ町内でそういう風に戦時景気に便乗していくらかでも甘い目を見た家の数と、毎日毎日、日の丸をふって働き手を戦争へ送り出し、そのために日々の生計
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