な文壇的自我が、それほどの横這いを横這いと思わなくなっている、というところに、はっきりあらわれている。天皇制を批判したりするものに娘を嫁にやらないなどと、世間のおやじが酔っぱらった時にあぐらをかいていうような啖呵《たんか》を、文学者としていえるということは日本の過去の社会感覚の中で「自我」がいかに低い内容をもち、いかに封建的であり、隷属的であるかということをはっきり私どもに知らせていると思うのです。
おくれて、しかも速く進む日本の歴史の中ではブルジョア民主主義と人民的な民主主義と並んで重って或る期間進展してゆくから、人民民主主義を否定しようとするなら(社会党にいたるまでのすべての保守陣営がそうであるように)いや応なく反人民的になり、国際的ファシズムに結ばれなければ、その一環とならなければ、資本主義としての存在が保てないところへ来ています。国際的にそういう風に歴史が前進しました。ですから私どもが新しい民主的な人民生活をつくりつつそのなかで新しい人民的な内容での自我を確立させていくということは、結局勤労階級の推進力が確立しなければできないことなのです。働く人民の生活安定と自由と建設がなけ
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