かった生活は終りがきたようにみえますけれども果してそうでしょうか。昨日と今朝の新聞を御覧になった皆さんに聞いてみたいと思います。あの新聞を御覧になった皆さん方は一九四九年という年がほんとうにはっきりと、より民主的な日本に進みつつあると期待おできになったでしょうか。私はそうは思わなかったのです。なぜかと申しますと、たとえば新聞は処刑された東條の葬式についてあれだけ、いわば華やかに写真を載せております。それから処刑された人の家族にいろいろの話を聞いてインターヴューしております。特に東條の家族はなんといっているでしょうか。「お父さんは死んだのではありません、生きたのです、なぜならば、彼は最後まで信念を守りましたから」といっております。それが、民主国たろうとする日本の新聞に出ていることにおどろかない人があるでしょうか。同じ新聞は、極東裁判においてその人の侵略戦争に対する謀略が有罪と判決され、処刑さるべき宣告をのせた。つい先頃のことだったのに、きのうは、日本のすべての新聞が戦争謀議責任者の家族のインターヴューをのせています。これはどういうことを意味するでしょうか。それは結局東條は死んだのではない
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