んにち、こういう経験の深い人達はひとつも表に立って働く必要はありません。組織が残っておりますから。その組織はもとのままの特高課とか、憲兵とかいう世界の民主主義からはっきり誰でも非難を向けられるようなものよりも、もっと微妙に、もっと拡がって様々の形をかえたそういうものです。そういうものが今日残っております。たとえばA級の戦争犯罪者、つまり世界の人類に向って罪を犯した人が数人処刑されたとしても、ファシズムが残り、底が残っていればそれはなんの意味もありません。蔭でよく働く人が自由に活動できれば、そういう人達は日本の民主化を邪魔する仕事がいくらでも出来る。そして彼らはそれをはっきり知っています。自分たちがまだ利用される余地があったということを、したがって、自分たちとして利用する力もある、ということを。これは、私どもの明日の発展的な運命に対立した立場であり、その立場についてのはっきりした自覚でもあるでしょう。ファシズム、日本の旧軍部の力が生きている実感が与えられていないならば、どうして東條の家族が「お父さんは生きている」というふうなおそろしいことをいえるでしょう。この言葉は極東裁判の、長い間の調査、それからまた最後の判決決定――世界の理性を嘲弄しているものです。東條は死んでも信念は死なないと云い、ファシズムの存続が明言されていることは、きわめて厳粛に、きわめて真面目にわたしども人民が考えなければならない。現在私どもはいろいろの点でだまされています。私どもの人民としての知慧も決心もまだ十分でないんです。たとえばこんど釈放された人の中に天羽英二という人がいます。けれども、この情報局の局長であった人が、情報局というところで軍部が要求した日本の言論の自由の抑圧、出版の自由のはくだつ、文化、文学、学問の自主性を奪って、戦争宣伝に従わせ、つまりきょうの世代に青春をうしなわせた、その仕事のためにどういう責任をとわれる立場にあるかということを、この人が自由になった日本では用紙割当が内閣に移って、内閣が言論出版の物的基礎を握ってしまったということときりはなせないこととして理解しなければならないのです。同じグループの児玉誉士夫というのは児玉機関といわれた特務機関のような一種のファシズムのボスですが、彼は或る種の右翼的な作家、名前をいうことを止めますが、そういう作家達と近い関係にあったという話があります。
 すべてのこういう事情はこんにちの文学の上にどういうふうに反映しているかといえば、皆さんはあの七戦犯の判決が公表された翌日、新聞が作家石川達三の話を載せたのを読まれたでしょう。判決の結果に対しては何もいえない、ただ将来に期するしかないという意味を石川達三談として書かれていました。この同じ作家が戦争が終結した時にどういうことをいったかといえば、日本がまた再び過ちを犯すならば自分も犯すだろうとはっきりいっています。その石川さんが世界平和のために、人類の平和と文化のための機関であるユネスコの役員になっていられます。そういう矛盾は日本にしか見られないと思います。そして矛盾はどこによりどころをもっているかと云えば、「お父さんは生きています。信念を貫いたのですから」という言葉が公然と云われた、その同じ根拠です。この人たちはみんな生きているファシズムの顔を見て声もきいているでしょう。私どもはつまりきょうの日本のこういう現実を掴んで私どもが自身の運命を托してそのために努力している日本の民主化がどういう状態におかれているかということをいまこの瞬間に通じる自分の問題として知らなければならないと思うのです。日本にファシズムは生きています。同時に日本のファシズムを寄生的に生かす世界のファシズムが存在しています。イギリスのバーナード・ショウはああいう皮肉やですからその点ははっきりしています。彼はファシズムが、自分の国にながく生きがよく存在していることを新聞でいっています。日本のファシズムは便乗してお墨つきで生きているのです。
 世界文学について真剣に考える時、このことを忘れてはいけないと思います。口の先であるいはいろいろ印刷物の表面では民主化、民主化といって、日本の民主化は進行している、きわめてスムースに進行しているというようなことをいいながら、その半面で露骨にファシズムを植えつけて行くことが可能なような社会意識に日本を止めておくことは私ども日本の人民にとって非常に恐ろしいことです。そして、人民としての恥辱だと思います。なぜかといえば、毒がどれだけわれわれの体に廻るかということを知らないうちに、毒が注射されているからおそろしい。
 そういう注射を心づかないでいるなんて、云いわけにもなりません。ドイツがヒットラーのナチスのためにあれほど悲劇的壊滅をした。すべてのドイツの人がファシスト
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