そもそも》、私のその客観性が、あの事を起したとさえ云える位だ。神経質な、激情的で心も体も虚弱な三十八歳の男が、自分のような、生活慾の強い、どの点からも容赦のない女と一緒に暮すのがやり切れず、病的になり、自分を殺して仕舞った。不幸なぞっとする事実だ。私は、自分と云うものさえ局外から観察し、悲しむべき人間のコムビネイションから生じた人生の一ツの悲劇として、それから卒業出来ると思った。ところが違う。明るみに出るにはなかなかだと解った。原因は、良人である彼に、左様な異常な死を死なれたからではない。彼を生かし、きっと幸福にしてやれる確信も自分にもたないのに、死ななかったら仕合にしてあげたのという出鱈目な気休めは云えない。ああ云う破綻がさけようとしても避けられない運命的な災難であると仮定しても私が参るのは、それを素直に、わあっと泣いて仕舞えない自分の心だ。悲しさは涙という。よい。特に女性の脳細胞にはよい鎮経剤であるものを伴って来る。然し苦しさには、涙が道づれでない。悲歎は嵐だ。或る時は、春さきの暴風雨だ。濡れた心から芽が萌える。苦しさ、この苦しさは旱魃だ。乾く。心が痛み、強ばり罅《ひび》が入る。
私はどうかして一晩夢中で悲しみ、声をあげて泣き、この恐ろしい張りつめた心の有様から逃れたい。私の感傷は何処に行った。ああ本当に泣けさえしたら!
考えて見れば、私は、彼の行方が知れなくなった時、あの縁側に佇み、青葉をつけ始めた樹木を眺めながら「さては」ととむねをつかれた時、やはり泣かなかった。磐石が心に押しかぶさったような云い難い苦痛を覚えた。それだ。それが今もつづいている。斯うやって考えていると、地面でも掘って頭から埋って仕舞いたいような惨めな堪らない心持と一緒に、今、たった今、彼の墓を掘りかえし、彼の肩をつかみ、力限り揺ぶりたい衝動を感じる。彼に目を醒まさせ、一言返事をさせたい。本心をききたい。面当てか、そうでないかの。――
私は無慈悲な、冷酷な女ではない筈だ。私は彼をしんから愛した。同時にいやなところをしんから嫌った。彼は不運なことにこの私の嫌がり丈を強く感じた。そしてああいうことになったのだが――気の毒だ。実に気の毒だ。而も、こうやって、制し難くこみあげて来る苛立たしいような、腹立たしいような、泣くに泣かれずむかつく激情は何だろう。
私は、彼の上に泣き倒れられない自分を腹
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング