いるように云々……と。
 なるほど、川端康成は老成の筆ぶりで「わが犬の記」を書き、綿々たる霊の讚歌「抒情歌」を書き、決して直木三十五のように商売半分のファッショ風なたんかなどを切ってはいない。
 まるで正反対である。「水晶幻想」時代には近代のブルジョア・インテリゲンチアらしく、科学知識への興味を自慰的に示していた川端康成は、次第に円熟し、東洋人らしくなり、仏典をいじり、霊の輝きへの信仰によって高められ、微妙な美の創造者になったかのようである。
 が、しかし、この神秘主義こそ、ファッシズムがその文化を飾る重要な一つの支柱として求めるものである。
 神秘主義は、その基礎条件として、現実の社会生活からの逃避を意味している。われわれがその中に闘いながら毎日生きている資本主義社会の矛盾と崩壊の過程。その表現として支配階級のファッショ化が導き出されているほど激化している階級対立の現実からは何とも手を下しようなく目をつぶる。川端康成は作品の女主人公にいわせている。
「植物の運命と人間の運命との似通いを感じることがすべての抒情詩の久遠の題目である。」
「仏法のいろいろな経文を、たぐいなくありがたい抒情詩と思います今日この頃の私であります。」
「水晶幻想」時代にも、彼は科学の階級性は全然把握できなかった。今は更に進んで「抒情歌」によってとうとう現世[#「現世」に傍点]をすて霊の天上界へまで逃げのびてしまった。
 ブルジョア文学のファッシズムへの道は、群司次郎正や直木、三上の場合のような、だれにでもそうとわかる姿でだけ現れるとは限っていない。この「抒情歌」のようなその反対の消極的な外見をもっていて、十分にファッシズムが利用する精神への道も開き得る。
「抒情歌」にあらわれた神秘主義は、それが美しければ美しいだけ今日の現実から目をそらしているという点で、第一、支配階級の役に立つ。
 第二に、こういう神秘主義は自然と人間との関係の積極性を否定し、人間精神を、運命、目に見えない力の統帥に甘んじさせようという点に、革命的な大衆のより自覚しようとする世界観に霧をかける毒素をもっている。こういう神秘主義を様々の形にかえてコケおどしの慰霊祭のおかげで、支配者たちは自分の利益のために殺した満蒙出征戦死兵の窮迫した遺族からの反抗をふせいでいるのだ。軍国主義をあふり得るのだ。
 イギリスのロッジ博士が戦死した息子からの霊界消息をまとめて本にだした。それは「つまり魂が不滅でありますことのあかしを立て、ヨーロッパ大戦争で愛する者を失いました幾十万の母や恋人にこの本をおくったのでありました。」しかし、これはほんとに人間的な不幸へ抵抗する方法だろうか、息子を殺すな! 愛人を殺すな! と幾百万の女を奮い立たせるためでは、決して決してなかったのだ。ブルジョア文学はブルジョア階級のがたつきと一緒に、美のうちにあるべき正しいいきどおりという理論を失っている。そして、ブルジョア文化用具としてのブルジョア・ジャーナリズムの命じるままに、片々たるエロチシズムとナンセンス文学をつくって来た。ところが、階級対立が激化し、帝国主義戦争=大衆の大量的死がブルジョアジーにとって必要となってくるにつれ、文化のいろんな部面に神秘主義が現れて来ていた。
 今年になって、沢山の婦人雑誌が特別附録として、「迷信」「占ない」などの記事を盛んにもりはじめた現象と、この「抒情歌」との間には、切っても切れない血のつながりがある。
 ロシアの一九〇七年反動時代に、インテリゲンチアの間にどんな盛んな勢で心霊問題がとりあげられただろう!
「ゼーロン」を書いてロマン主義へ逃げ込んだ牧野信一にしろ、この「抒情歌」の作者にしろ、ブルジョア・インテリゲンチアが政治的危機においては、その紛糾をいとわしいものとして避けようとする意図しかないにしろ、客観的には自覚された悪意はないにしろ、階級的にどういう危険に誘われるものであるかということをまざまざと示しているのだ。

 後記[#「後記」はゴシック体]
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 一九四九年四月。選集第十巻に収録するためにこの文章をよみかえした。そして、作者と読者とのためにこんにちでは、短い附記の必要を感じた。川端康成は一九一四年(大正三年)ころから作品をかきはじめ、一九二二年(大正十一年)「伊豆の踊子」によって、独特な抒情性のきよらかさと描写の美しい明瞭さを高く評価された。一九三二年「抒情歌」の書かれる前後、この作家は新感覚派に属していた。一九三一年の「水晶幻想」はこの作家の創作系列の中で風の変った一作であり、新感覚派的手法の試みであり、またこの作家の資質にとって不自然な作品の一例とみられる。「水晶幻想」は即物的な表現のうちに、素朴な唯物的実在の感覚と心理のニュアンスを綯《な》いあわせた
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