、とがんばって肯《がえん》じなかったというのである。
今日ソ同盟の社会的業績に対する関心の中には、この極端な一つの実例が暗示しているような感情の方向をも包括していると見るのが妥当なのだろう。
ジャーナリズムのこの流行の潮にのって『文芸』八月号に勝野金政なる人物の「モスクワ」という一文がのっている。勝野金政という署名で嘗て妙なパンフレットが書かれた事実は世間周知である。「モスクワ」は小説として発表されており『文芸』の編輯者はモスクワかえりの「作家」として紹介しているのであるが、作家というのは何でも彼でも文字を書くものを総てひっくるめて呼ぶ名ではないのである。佐藤春夫氏は『文芸春秋』の社会時評に「諸共に禽獣よりも悲し」といい、ジャーナリズムが社会的効果に対して無責任であることを指摘しているが、もし現在のジャーナリズムにそのような弱いところがなかったならば同氏によって『文芸』に推薦されたと仄聞《そくぶん》する勝野金政の小説などは、烏滸《おこ》がましくも小説として世間に面をさらす機会はなかったのである。
「※[#「さんずい+墨」、第3水準1−87−25]東綺譚を読む」という『文芸』の文章の中で、佐藤春夫氏は冒頭先ず「現代日本にもまだ芸術が残っていたのかというありがたい感激をしみじみと味わせる名作である」と荷風の「春水流の低徊趣味」が「主要な装飾要素になっている」文学精神の前に跪拝している。自分のその文章などは「末世の僧の祖師を売る者、妄言当死」と迄頭を垂れている。もしそのような芸術至上の帰依に満ちた芸心があるならば、佐藤氏も「モスクワ」が芸術品かそうでないか位は嗅《か》ぎわけ得て然るべきであった。或る作家が未熟で、下手で書きそこなった小説というのとは別の、本来作家でない他の何ものかであるものの書きものを、小説として買い、それをジャーナリズムに押しつける佐藤氏の人間的態度は腑に落ち難いのである。時評の中で佐藤氏は、帝国芸術院が年金をきめていないことをあげ、芸術家の経済的窮乏が芸術家と政府とを惧《おそれ》しめる結果になることを惧れているけれども、一個の芸術家が生ける屍として現れるのは、あながち経済的窮乏のみによらないことを教えられるのである。
戦争を描く小説
『日本評論』八月号は戦争小説号として、三篇の戦争を題材とした作品をのせている。「明治元年」林房雄。「戦場」榊山潤。「勝沼戦記」村山知義。
本多顕彰氏は月評の中で「勝沼戦記」は戦いを暗い方から描いたもの、「明治元年」は明るい方から書いたものという意味の短評をしていられた。
「勝沼戦記」は伏見鳥羽の戦いに敗れて落ちめになってからの近藤勇と土方歳三とが、新撰組の残りを中心とする烏合の勢をひきいて甲陽鎮撫隊をつくり、甲州城にのり込もうと進むところを、勝沼で官軍に先手をうたれて包囲された物語である。風雲児的な近藤、土方が戦いを一身の英雄心・栄達心と結びつけて行動したことから大局を破局に導いたところ、また甲陽鎮撫隊の構成の様々な心理的要素などに作者は軽く筆を突きすすめてはいるが、読後の印象は一種の読物の域を脱しない作品である。新講談の作者も試みる程度の事象と心理との分析に止まっている。
「明治元年」は林房雄というこの作者らしく「正論に従って、俗論とたたかい」「楽しく死のうとする」三春藩の官軍支持の若い兄弟を描いたものである。板垣退助を隊長とする官軍に属する医者の息子である一人の青年に「維新の業は我ら草莽の臣の力によってなさるべきだ」といわせたり「暗厄利亜《アングリヤ》国に、把爾列孟多《バルレメント》というものがあるのを御存知ですか。この戦争後に、それができるのでなければ、ちょっと死ぬ気にもなれないというものでしょう」などと云わせているあたり「青年」を書いているこの作者としては苦もない仕上げの艶つけであろうと思われる。この作者に向って、正論とは何か俗論とは何かということについて一般の読者の心に湧く疑問の答えを求めようとしても無理であろう。その作者は、ナニ? 正論は即ち正論さ、それがどうした、といい得る人なのであるから。
榊山潤氏の「戦場」は、以上二つの作品が過去に材料を取っているのと異っている。東京で失業に苦しんだ知識人の一人である「私」という人物が、出征して「敵は誰であってもいい。東京にあって私の行く手をすべてふさいでしまった現実が、支那服を着て目前に現れたと思えばいいのだ。こいつが敵なのだ」「人間を歪めるものは戦場よりも寧ろ歪んだ平和だ」「人間性は、すでに今日の巷にあって破壊しつくされているではないか。この上に何の破壊があり得るか」そして、戦いの中に「昂然と身を捨て切った精神に洗われ」「自身の内に英雄を感じ」終結は「この戦場をのりこえて」「善良が不徳でないところまで
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