である。
 だが「ナップ」は、第三回全国大会に各国からのメッセージをうけとっただけで安閑としてはいられない。官憲が「ナップ」の国際的同盟加入に関して、その討議さえ禁止した事実は、そのままのこってわれわれの将来の活動を現実に掣肘する。
 すでに実質的には国際的に拡大している「ナップ」の活動が、大衆の力によって国際的に組織化されたのであるが、それはどの程度まで合法の形をとり得るだろうか?
 官憲が「ナップ」にしかけたわながここにある。世界の階級闘争の大勢がどっちを向いて流れているか、それは手にとるように明らかだ。これまで合法的組織として活動し、だんだん生成して来た「ナップ」を、それが国際的なプロレタリア文学運動に結びついているという点でひっかけ、挫き、無力なものとしようとするこんたんなのだ。
「――議長! 緊急動議!」
「はい」
「さっき朝鮮プロレタリア作家同盟(カップ)からのメッセージがよまれましたが、この際、特別な意義ある『カップ』に対し、われわれは大会の名においてメッセージを送りたいと思います」
「ただ今、朝鮮プロレタリア作家同盟へ大会の名においてメッセージを送ることが緊急動議として提案されましたが、どうですか?」
「異議ナシ!」
 拍手。拍手。盛な拍手が起った。
「異議ナシ!」
「では、起草委員を選んでそのことに当りたいと思います。選出方法は」
「議長一任!」
 大会は、朝鮮プロレタリア作家同盟ばかりでなく、他の友誼団体へのメッセージ起草をも決議した。

 討議は正味八時間余ブッ通して行われ、日本プロレタリア作家同盟は第三回大会で、内容的に、一歩、確然たる前進をした。
 一九三〇年の第二回大会で、作家同盟は「文学のボルシェビキ化」を決議した。そして、「前衛の目をもって書く」ことを目標としてやって来た。
 一年間の作品行動にあらわれた現実の成績は、ところで、どうだったろうか?
「ナップ」の作家たちは、確に生活的に一つの発展をした。作家主義を脱し、プロレタリア大衆の中へ! という作家たちの努力は強く、実際に今日工場、農村で労働し階級闘争しているプロレタリア、農民と何かの形で接触をもたない作家はなくなった。
 作家は、前衛的大衆の闘争を、生きた題材として捕えた。たくさんのストライキと農民闘争は、すぐ「ナップ」の作家の書く作品に盛りこまれた。
 さて、大切な問題は次にある。
 それらの作品は、ではどれも実にいきいきとした芸術的効果をおさめていただろうか? 大衆は、作品の中にほんとに俺たちの前衛を丸彫りに見出したか?
 公平に批判して、そうだとはいえない。変ではないか。作品の中に引用されているビラ一枚だって、偽《にせ》ものはないんだぞ。みんな、闘争の現場から貪慾に集められたものだ。ストライキの発端、過程、これにも、こしらえたところはない。
 だのに、なぜ書かれた小説はどれも面白いというわけに行かず、作中の人物は、大衆から「どれでも同じようだ。人間が書かれていない」といわれるようなものになったのか。
 第三回大会は、この点に力をこめて自己批判した。理由には勿論階級闘争の激化につれて加わる運動の非常な困難さがあげられた。一九三〇年は、かつて労農党華やかなりし頃とは別な世の中である。大衆は革命化している。が、ほんとに質のよい、永続的なプロレタリアートの運動は、一つのストライキ、一つの農民闘争の底に沈められている。その本体を把握し、ブルジョア官憲によって切りこまざかれる運動を全線の展望から理解し、しかも芸術品としてまとめることは、異常にむずかしい。
 しかし、理由は、もう一つある。それは一九三〇年のスローガン「文学のボルシェビキ化」「前衛の目をもって書く」ということを、やや機械的に、平ったくいえば、小説の種をストライキや農民闘争にとれば、前衛的だ、という風に解釈した誤りだ。
 芸術は生きものだから、それではうまくゆかない。
 革命的プロレタリアートの闘争の形の主な一つは現在の過程において例えばストライキだ。「ナップ」の作家はそれを芸術の中へとらえ、描かなければならない。階級の芸術としてそれは、当然である。が、ストライキを書いたからといって、それだけで、階級の芸術として直ぐ前衛的だとはいえない。
 その一つのストライキを貫いて、プロレタリアートが叫んでいることは何か。一つの叫びにこだまする全階級の声。その声がいわんとするものは何か。互に矛盾し合ういろいろなストライキの間の現象。プロレタリアートの心持などを徹して、描かれなければならないものはそれだ。主題である。単なる筋書ではない。
 つよい、熱い主題をはっきり掴み、それを切れば血の出る芸術品にするためには、作家が、一人や二人の前衛として知り合いをもっていて話をきくというだけでは足りない。更に更にたたかいつつある大衆、たたかいを欲しない大衆の内部へずっぷりつかる必要がある。「前衛の目」はプロレタリア・リアリストの目でなければならない。
 一九三一年の「ナップ」方針書は、明かにこのことについてもプロレタリア作家の階級的任務を一段発展した形で示している。
 一九三〇年に据えられた基本的な正しい前衛作家としての線を、具体的に活かすために、作家は、次第に水準を高めて来た日本のプロレタリア・農民の文化的自発性に、熱心な注意を向けなければならない。
 大衆の中からの労農通信員こそ、新しい文化芸術創造の階級的萌芽である。彼らの中から、そろそろ現れて来はじめた若いプロレタリア作家こそ、存在そのものの本質においてすでに前衛的要求をもっている。
 作家同盟は、労農通信員を組織し、その文化的自発性を助け、同時に、彼らと大衆とのうちにあってプロレタリア・リアリストとしての発育を遂げるべきだというのである。
 これは日本のプロレタリア文学のために万歳! を叫んでいいことなのだ。
 プロレタリア文学の正当な発達は、とどのつまり全プロレタリアの階級的自発性の発達でしかない。闘争をくぐり、文化戦線においても、ただ受け身のプロレタリア芸術消費者ではなくなりかけて来たほど、日本のプロレタリアの力は、高まった。芸術を生産するものが、芸術の生産者が生れはじめた。
 これまで、作家は革命的プロレタリアートの実生活の中から題材をとって来た。それをこっちで作品にまとめて、再びそれを大衆の中へ逆輸入していた。いわばプロレタリア芸術の植民地関係だった。一九三一年の「ナップ」の方針が実現された時、この初期的な現象は、最も健康な脱皮で清算されるわけだ。
 労農通信員を含む大衆は、どこにいるか。工場にいる。農村にいる。再びスローガンを。
  ┌────────────────────┐
  │文学運動の基礎を全国の工場へ! 農村へ!│
  └────────────────────┘
 闘争の現実がプロレタリア作家の関心を呼んでいる農民文学の課題。植民地、移民地における芸術運動の問題。こういう重大な、根づよい活動と明確な世界観を必要とする課題は、全体の芸術運動の根がしっかり、それぞれ生産の場所にあるプロレタリア大衆の中へ張ってはじめて、階級的に、生き生きした綜合力で芸術化されて来るに違いない。
 プロレタリア解放運動の道はジクザクだ。ぴったりその線に沿ってゆくプロレタリア芸術運動の道もジクザクだ。外にありようない。困難な歴史的使命をはたしてゆくうちに、誤謬がないとは決していえない。
 ボルシェビキ作家にとって、大事なのは一つの誤謬をも犯さないということではない。犯した誤謬を、率直に認め、失敗の原因を根こそぎ詮索して、その経験をあらいざらい次の運動の中で発達のためのこやしにすることだ。
 六月の『中央公論』に長谷川如是閑が文芸時評を書いている。プロレタリア文学についての意見の中で、取材、形式の固定化をあげている。そして、「プロレタリア作家生活がすすむにつれ、その芸術的空想の局限が見えて来るようだ」から、いわゆる政治小説から出て、モットほかのところへ種さがしにゆけと勧告してくれている。
 大体その時評は、妙なものだった。マルキシズムの立場で書かれているわけなのだろうが、敗北主義で、政治と文学との見解は、ブルジョア・インテリゲンチアの宿痾《しゅくあ》、二元論だ。
 しかし、言及されているプロレタリア文学の取材、様式の固定化という批判は、そのままとりあげよう。
 けれども、われわれのところではその解釈と、発展を求めてゆく道の発見のしかたが、筆者とはまるで違う。まるで反対である。
 大会は、作品が固定化した理由を、プロレタリア作家各人の日常が、まだ大衆のうちに入り切ってないからだ、大衆の現実が作者の現実となりきっていないからだとしている。
 空想の欠如ではない。現実の欠如である。
 そして、その欠点を清算するために、「ナップ」の作家は、土地をかえよう[#「土地をかえよう」に傍点]とはしない。そこから逃げ出そうとは考えない。なお一層プロレタリア・農民大衆の現実の中へ中へと、正しく踏み出した去年の道を発展させてゆくことで、克服しようとする意志をもっている。
「プロレタリアートの当面する課題が、文学の課題であるということは、プロレタリアートの当面する課題を文学の内容として具体化すること、即ちそれぞれの作品の主題として生き生きと生かすことである。
 階級闘争の現実の正しい把握と、その表現との中に生かさねばならぬのである。過去のわれわれのこの問題に対する機械的理解すら生じた多くの誤謬を実践的に清算することによって、我々のこの任務を深めつつはたしてゆくであろう。これが作品におけるプロレタリア・リアリズムの確立への道である」(一九三一年度における日本プロレタリア作家同盟の活動方針書の中から)[#地付き]〔一九三一年七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「中央公論」
   1931(昭和6)年7月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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