精神というものはこの文学における独自な性格である自己の存在意義への歴史的な確信と主動性とともに極めて溌剌と動いた。けれども、文芸理論としての若さから、批判の精神は文学以前の社会的見地というものと多かれ少なかれ混同して考えられていた。そのことは世界観と芸術性とが、文学の内部で対立するものであるかのような混乱があったことにもうかがえる。文学作品と読者とに対して評価の責任ある作用を営むものとしての批判精神は、その場合とかくそれぞれの作品の、文学以前の現実現象に対する作者の観かた如何から、評価の一歩を踏み出してゆくことになった。作品の内容、形式と、二つの別のもののように見られる困難が克服されていなかった。所謂《いわゆる》形式はとりも直さず内容そのものの具顕であって、その内にそれぞれの芸術性として生かされている世界観がふくまれているという生きたままの肉体を対象として、批判が縦横の洞察を行うことは出来なかった。そこには、その時分まだ批判精神は理知的・論理的・意志的なものであり、芸術性は感情的・感性的なものであるというような昔風な知情意の区分が、統一された人間精神の発動の各面という理解にまで高められていなかったことも現れているのである。
プロレタリア文学時代の文芸批評にあった以上のような未熟さは、当然その発展成長のための強い批判を必要としたのであったが、非常に興味あることは、当時その理論的未熟な点に向って行われた批判は、常にその文学の本質に対立する社会的層から発せられていたという事実である。プロレタリア文学はその創作方法において大衆を対象としているものであったし、それと対立する所謂純文学は、従来の個人主義に立っての個人の文学の主張であり、それにふさわしい創作方法として対象は自我であり自己の世界であり、私小説の伝統に立つものであった。後者は純文学の芸術性の擁護、文学精神としての芸術至上の論拠に立って、批判を行っていたのである。
事情は推移して、プロレタリア文学時代は過ぎたのであったが、この文学を押し流した時代の波は、純文学を主唱した知識人の社会的ありようにも激しく荒っぽい動揺を加えた。そしてそのひどい震盪は、純文学の枢軸であった人間としての自我の拠りどころを全く見失わせるに至った。この純文学の悲劇は、しかしながら既に数年に亙って準備されていたものであったとも云える。何故なら、プ
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