通な愛から評価されていいものなのである。
ものごとの実体が一つのものから他のものへと転化してゆく瞬間は、何という機微だろう。
私たちは笑いの功徳を十分知っている。それだからといって、もし始終笑うことしか知らない人を見たら、誰しもそれを正常な心理の人として見ることは不可能であろう。
文学精神の明るさというものは、現象に目を奪われて、ものごとの一面に明るさを、他面に暗さを単純な対比として感じとる範囲でいわれるべきではないであろう。もっと、事象を歴史の上に射透す精神の光波をさすべきであろう。明暗をひっくるめてその関係の生きて動きつつあるそのものを、よりひろいより大きい時間と空間との中に再現したとき、人間は常に進歩を欲しているものだがまた常にそれは矛盾におかれている、その生々しい人間真実の悲喜をうつしたとき、文学精神の明るさも、いうに甲斐ある透った明るさとなって爽やかに輝くわけだろう。
文学の明るさをいうとき、私たちは、そこいらの高さまでを念願して、それが自然なのであろうと思う。[#地付き]〔一九四一年四月〕
底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
1980(昭和55)年4月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「報知新聞」
1941(昭和16)年4月24日号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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