』という作品集を大陸開拓文芸懇話会の選書で出版していられる。
 大石氏の題材は多く日本からの移民の生活が扱われているのだけれど、そして大陸開拓の文学というとき満州あたりの移民の生活が考えられているのだけれど、大陸文学というとき、内地の感覚で移民の生活が先ず浮ぶというところに、日本の文学における大陸性の性格が特徴づけられもしているし将来に向っての深い課題をひそめてもいると思われる。
 大石さんの小説をみても、移民という立場で働き生きる人々、第二世と云われるその子供たちの生活は、内外とも二つの国に挾まれる苦悩にみたされたものであることがわかるが、日本の文学が世界史の変動につれて将来大陸性をもつようになるとすれば、大陸生活を描く作家たちは辛酸を耐えて、文学の内的世代として移民生活の描写時代を生きぬけなければならないだろう。そして、大陸に生活する日本人という響が今日つたえているテムペラメントそのものの二重性、その間の乖離、そこに生じる大小の悲劇を誠実に生きすぎて、日本の心に一つの雄大な地平線をもたらさなければならない次第だろう。日本の人が日本の在来の心に壮士風のロマンティシズムと感激とを盛って大陸にいって書いて来る文学の肉体・呼吸・体臭は大陸の文学の輪廓を出しにくいのが目下の現実であり、そこに文学としての畸形が生れている。
 大石さんなどでも、書きにくさについて語っているが、この素朴な表現に案外多くのものがこもっているのではないだろうか。作者としての大石さんが、作品の世界にとらえ難《にく》いと歎いているものはあながち海外でのみみられる日本人の人間としての成長の過程のあとづけばかりではなくて、そのように日本の心をつくりかえてゆくそこの土地の力の云うに云えない日夜の作用そのもののうつし難さも在るのではないだろうか。
 ある土地の風物は作者が直接耳目でふれたから間違いない、という範囲で文学が文学としてのいのちをもち切れないところが微妙であるのだと思う。[#地付き]〔一九四〇年十一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「月刊文章」
   1940(昭和15)年11月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
2003年6月29日修正
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