す気分ならば、この肉体的な悪条件に抗して毎日創作の仕事を続けるだけの努力はしません。自分に対してより多様な活動を求めているからこそ、現在は健康をリスクしながら長篇を完成しようとしているわけです。作家は前をみています。常に前をみて一章から一章へと困難とたたかいつつ建設してゆくものです。

三 第一回選挙当時から、わたしの立候補がすすめられています。そのたびに当選の確実性がとりあげられ、体がわるければねていてもいいし、活動もほどほどでよいからと言われますが、国会およびすべての部署で働いている党員の経験からそのようなことが不可能であることは十分わかってきていると思います。もしわたしに大衆の支持があるからといろいろの場合立候補をもとめられるならば、それは長年にわたるわたしの文学活動と階級性に対する大衆の信頼の証明でしょう。そうだとすれば書記長の発言にあるわたしの非大衆性、非階級性、独善という断定はおのずから反証されているわけです。
  わたしが立候補できない一つは上述のような健康上の理由です。議員その他の必要条件の一つは、健康であるということは党員議員の一致した意見です。
  党は多くの人材を加え、婦人の間にも代議士その他として有能な活動家を出しているとき、実際に働けないとわかっているものを立たせ、当選させ大衆の信頼を裏切ることが賢明といえるでしょうか。わたしが健康をもっていないことは残念ですが、わたし自身の放らつによって今日健康を失っているのではありません。
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 立候補しないもう一つの理由は
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  民主革命の途上においてこそこれまで天皇制、軍事的権力のもとに生殺の権をにぎられ、弾圧されていた人民的能力の各種各様の開花が期待されるべきであると信じるからです。六月号の新日本文学をよんだ方は十返肇の小林多喜二についての短文中、「同志によって殺されたにしても」小林多喜二は満足であろうという文章をよまれたでしょう。
  同じような文句は一九三三年二月小林多喜二が築地警察署で拷問の果に殺されたとき、板垣直子がかきました。小林多喜二を殺したのは共産党であるというデマゴギーは、このようにして十六年後もまだ或る人々の観念の中にあるのです。共産党とプロレタリア文学運動に関係してわたしが人間性を失い同時に文学の能力を殺された、
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