たということは、何と興味ある、特質的な現象であろう。今日の情勢で大きい役割を果している日本の官僚というものが、その発生の歴史においてヨーロッパ近代諸国のそれとは異り、日本の特別な近代化の過程で生じたものであることは、長谷川如是閑氏の説明(読売、座談会)でも明らかである。明治の文化的相貌も、当時の所謂金時計に山高帽子の官員さんの全面的登場とともに、次第に変化した。新しい日本の文学が分化し、まとまりはじめた頃は、既にその作品の中に、野暮で厚かましい官員さんに対する庶民的反撥の感情(一葉)やそれに対する庶民的憧憬・追随の感情(紅葉)が反映するようになって来たのであった。普通一般人の生活感情とそれを語ろうとする文学とは役所的なもの、権力に属したものと漸く遠い懸隔を示して来たからである。が、明治文学が、その渾沌とした胎生期において、一方には福沢諭吉の「窮理図解」を持ち、他方に仮名垣魯文の「胡瓜遣」を持っていたということは、今日の文学の事情にまで連綿として実によく明治というものの複雑な歴史的本質を語っていると思う。
 ヨーロッパの文明開化は、人間の合理性や社会性の自覚、人格、個性、自我の自覚の刺戟
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