、壮年になっている作家たちが、他の職業にたずさわる同年輩の男の社会的・経済的地位を観察した時、作家生活の現実は、彼の内心を暖くするであろうか。冷たくするであろうか。
今日の社会的情勢は、日本のブルジョア作家の大部分がそこに属している小市民、中農の経済事情を極端に劣悪にしている一方、従来の文学の立前においては精神の牙城を喪っている。荒涼たる心持で周囲を眺め、大人の文学をつくり、その大人の文学によって現実社会で官吏、実業家、軍人等によって占められている支配的上層部に伍そうとしたとして、それは容易なことであるだろうか。
フランスではユーゴーが宰相であり、ドイツではゲーテが宰相であり、イギリスで十八世紀文学を指導した文学者はそれぞれ顕職にあったという例は、今日までのところわが日本の社会では再現し難い。日本の近代社会の成り立ち、官製文明国としての特質が、日本的な現実性においてそうあらしめないであろう。
若し、社会的条件がそれを可能ならしめるならば、例えば犬養健氏、水上瀧太郎氏等の文学が、今日在るのとは全然変ったものとして生れたであろう。単に作家的才能云々の理由ではないのである。
私が、一
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