一糸をも乱さず暮したい」「対人的には朋友を信じ博愛衆に及ぼし」近衛文麿、永井柳太郎等が文学を判ろうとしている誠意に感奮して、「実行の文学」を唱え、某方面の後援によって満州へ出かけられることに誇りを感じているらしい姿も、林氏の言葉につれて読者の心に思い浮んで来るのである。
 文学または思想における日本的なものの追求が近頃これらの作家達によって熱心にされている。万葉、王朝時代の精神が今日の生活に求められている。それらのことについての感想は後にふれるとして、世間普通のものの目から見ると、そのような一部の作家たちの今日の姿こそ、まことに日本的なるものの顕著な実例として、ことの成りゆきをうち眺めざるを得ない気持を起させているのではあるまいか。分るようで分らない。そういうものがある。
 私は混乱をかきわけて単純に問題に近づいて行きたいと思う。そして先ず何が、今日一部の作家の自覚をそのように迄苦しめている文学と一般読書人の生活感情の疎隔を生じさせたのであろうかということを考えて見たいと思う。そしてまた、壮年期に入りつつある時代に今日のような社会情勢にめぐりあったこれ等の作家達が、大人の文学を創りたいと思うと、何故その精神的な拠《よ》りどころを、官吏・軍人・実業家と称せられる社会の範囲に求めなければ、安心ならないような気になっているのだろうかということに就て。
『文学界』の座談会では、はじめの問題について、従来の文学は、既に文学が人間をひっぱりまわしているので、人間が文学の主でなくなって来ている。文学青年は、小説や評論から活きかたを学ぼうとするより、書き方をならおうとして読む、その特殊な読み方に作者が追随して来たから、遂にここに到ったと云われているようである。しかしながら、一般読者の胸の中には、折りかえして、では何故、現代の文学愛好者の大多数がそういう自他ともに低めるような情けない末技的興味にひき込まれてしまっているのであるかという反問が生じる。

 明治以来今日までの七十年間、日本のブルジョア文学はみな少からぬ波瀾を経て来た。いくつかの文芸思潮がそれぞれの作用をのこして過ぎたが、真に当時の社会的欲求と全面的に結びつき、それを反映しつつ民衆の生活感情にまで浸透して指導的な役割を果したブルジョア文学の時代と云えば、日本では恐らく明治初年から国会開設まで二十数年間の所謂《いわゆる》開化
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