する本質の価値を活かすためには、職業に関してもそこからもたらされる感情の一般性に自然発生にたよるばかりでなく、日本の全体とのいきさつとして、特に或る地方の社会的現実がその職業の部面に加えている調子の具体性を把握しなければなるまいと思う。地方生活からの題材の特異性が、別の意味での素材主義に陥ることをふせぐのは、歴史の全体からその局面の特殊性がつかまれてこそ可能だろう。地方的なテムペラメントというものが旧来ローカル・カラアと呼ばれた以上の意味をもって文学に活かされる健全な可能も、やはり一応はそのテムペラメントをつきはなして広い空気に当ててみられる力を予定しての上でのことではなかろうか。
中央の文壇の関心というものも、ちがった地味での変種の速成栽培への興味めいたものであってはなるまいと思う。ジャーナリズムへ吸収される率でだけ、地方に分散する文学の創造力の意味が計られても悲しいことだと思う。文学の将来性への希望として真面目にみられるものならば、地方分散の問題は、日本の文化のありようの多面な立体的な諸角度から着実に追求され、究明され、客観的な自身の歴史の意味をも思いひそめて、自他ともに扱うべきものだろうと思われる。更に日本の文学が文芸思潮というものを喪ったまま動いて来ているこの数年来の実情に沈潜して思いを致せば、今日文学に地方分散の傾向の見えはじめたことの内に含まれている要素が、どんなに錯雑した過程に立つものであるかも深く考えられるわけである。中村氏によって文学中央集権の崩壊と云われている現象は、文学のこととして云えばつまりは一貫した影響をもつ文芸思潮の崩壊を意味するであろう。そして今日では、都会での米、味噌、水にかかわることとして見られる部分があると云っても、あながち文学と全く無縁なものと笑殺され切らぬところも現実の相貌のこわい面白さだと思う。
[#地付き]〔一九四〇年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
1980(昭和55)年4月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸」
1940(昭和15)年7月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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