仕組みこそ、勤労人民をこのひどいやりくり生活においているのであるし、植えられてゆく一字一字の内容が、いわばこの死活問題が、どういう方向で処理されてゆくかということにかかわっているのである。一行、頽廃の文字がより多く植えられれば、勤労人民生活の向上に関する一行は現実に減ってゆくのである。
 それぞれの生産部門の特殊性というものは、意味ふかい自省を求めていると思う。出版・印刷の全組合員が、悪出版に抵抗して、組織ある発言をするとき、闇出版屋の横暴が何の痛痒も感じないということはあり得ない。出版・印刷関係の勤労者は、もっともっと自分の仕事の社会性を知ってほしいと思う。目さきのケースを越して、そこにつながる自分たちの人生のねうちとして、活字を見てほしいと思う。その一字一字が、自分の声のかたまった形として感じてほしいと思う。
 これまで、文筆家・作家たちは、自分たちの文筆活動について、稚い幻想をもって来た。文筆活動は、肉体の勤労よりも人間的に高級ででもあるかのように思いこまされて来ている。しかし、それが非現実であるのは、夏目漱石の遺族がどんなに印税をとったにしろ、岩波書店ほど金もちにならなかった一事をみてもわかる。現代の殆ど全部の文筆家・作家は出版企業のために、その利潤を得るために働いている。原稿料・印税で賃銀をしはらわれ、「先生」という呼びかたで、一種の立場にくぎづけされている。著作家組合が出来たとき、文筆家は、自分のところで、自分の道具で、自分の時間で執筆するのだから、外の勤労と条件がちがうと考えた人があった。税務署も、文筆家は、ほかの勤労とちがうとして、開業医、弁護士なみの所得税徴収の基準をたてている。私たちは、作家という社会的な仕事を、現実に自分の企業として行っていない。労作の努力、そのかげにかくされた永い歳月の辛苦、それらは一枚いくらという原稿料で支払われない人生の刻々の蓄積である。それをいわないで、勤労の標準価値としてみても、原稿料は、出版企業のより巨大な利潤に比べて比較にならない小部分をしめている。商品としてうごかされる一万部の本の一割二分、五分、が印税である。
 そう見て来れば、文筆活動が、社会の文化生産のための勤労として、やはり、資本の本質にしたがった関係におかれていることが明白である。ただ、近頃一部の作家の間に流行しているように、小金をためて来た作家たちが、
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