いる響を感じたことがあった。そのとき、ひろ子は、その本を手にもって、永い間、その数行の文字を見つめていた。そのときひろ子の胸に湧いた云いつくせない感情は、口で話せるものだろうか。
 ひろ子は立ちあがって、書いている重吉の肩へ手をやった。
「――どうした」
「小説をかかして」
 ひろ子は重吉のあいている方の手をとった。
「ね、小説がかけるように働かして。――お願いだから……」
 亢奮《こうふん》しているひろ子の顔つきを見て、重吉はおかしみをこめた好意の笑顔になった。
「鎮まれ、しずまれ」
 ペンをもっている指先で、ひろ子のおでこをまじないのようにぐりぐりした。
「それを云っているのは、俺の方だよ。かんちがえをしないでくれ」
 その時分、そろそろ新しい文学の団体も出来かかりはじめていた。十数年前にも一緒に仕事をしていたような評論家、詩人、作家などが、また集って、口かせのはずされた日本の心の声をあげようとしているのであった。

        五

 ひろ子は、行手の道の上にゆるやかな角度で視線をおとしながら歩いていた。おろしていくらもたたないのに、粗末な下駄は前がわれて、あぶなっかしかった
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