育と同じ速力で芽をふいて来たのである。
 畑の手伝いでもさせようとすると、
「お父《と》、俺ら百姓なんかんなるもんか!
うんだとも。俺あ、もっともっと偉れえもんになるだ!」
と云いながら、泥まびれになっている親父の顔を、馬鹿にしたような横目でジロリと見る。するとイレンカトムは、曖昧な微笑を浮べて、
「ふんだら、何《あん》になるだ?」
と訊く。豊は、大人のようにニヤリとする。
 そして、
「成って見ねえうちから、何《あん》が分るだ? 馬鹿だむなあ、お父《と》おめえは!」
という捨台辞《すてぜりふ》をなげつけて、切角立てた畦《あぜ》も何も蹴散《けち》らしながら何処へか飛んで行ってしまう。
「すかんぼう」を振り廻しながら、蝗《いなご》のように、だんだん小さくなって彼方の丘の雑木林へ消えて行く豊坊の姿を、イレンカトムは、自慢の遠目で見える限り見つづける。
 そして、失望と希望の半分ずつごっちゃになった心持で、またコツコツと土を掘り続けるのである。

        二

 野も山も差別なく馳け廻っては馬を追い、鳥を追いして育った豊は、まるで野の精のように慓悍《ひょうかん》な息子になった。
 偉い者になるなるとは云いながら、小学の三年を終るまでに、四五年も掛った彼は、業を煮やして翌年の春から、もう学校へ行くことは止めてしまった。
 そして、彼の意見に従えば、出世の近路である馬車追いが、十三の彼の職業として選ばれたのである。
 イレンカトムは、単純に、息子が早く一人前の稼ぎ人になれることを喜んで、むしろ進んで賛成した。
 豊坊も、とうとう今度は立派な青年《ウペンクル》に成るのだ、馬車追いになるのだというような事を、彼一流の控え目勝な調子で触れ廻りながら、イレンカトムは、ほくほくしずにはいられなかった。いくら強情だとか、腕白だとか云っても、貴方達の十三の息子に、馬車追いの技《うで》がありますかというような、誇らしい心持にもなる。彼は嬉しまぎれに、空前の三円と云う大金を小遣に遣って、部落から三里ほど西の、町の馬車屋に棲み込ませた。
 豊は馬車屋に寝起きして、日に一度ずつその町から、イレンカトムの部落を通って、もう一つ彼方の町まで、客を乗せて往復するはずなのである。
 毎朝毎朝、眼を覚すや否や、飯もそこそこにして、豊坊の雄姿を楽しみに、往還へ出え出えしていた彼は、或る朝、彼方の山を廻って来る馬車が、いつもとは違う御者を乗せているのを発見した。
 イレンカトムは、幾年振りかで強く鼓動する胸の上に腕を組みながら、ジッと瞳を定めて見ると、確かに! 御者は紛うかたも無い、豊坊である。
 いかにも気取った風で、鞣革《なめしがわ》の鞭を右の手で大きく廻しながら横を向いて、傍の客と何か話している彼の洋服姿は、愛すべきイレンカトムの心に、いかほどの感動を与えたことだろう。
 笑う毎にキラキラする白い歯、丸い小さい帽子の下で敏捷《すば》しこく働く目の素晴らしさ。
 見ているうちに馬車はだんだん近づく。
 そして、彼の立っている処からは、一二町の距離ほかなくなった。
 すると、今まで傍を向きっきりだった豊は、迅速に顔を向けなおすやいな、いきなり体を浮かすようにして、
 ホーレ!
と一声叫ぶと、思い切った勢で馬の背を叩きつけた。
 不意を喰った馬は堪らない。土を掻いて飛び上ると、死物狂いになって馳け始めた。
 小石だらけの往還を、弾みながら転がって行く車輪の響。馬具のガチャガチャいう音。
 火花の散るような蹄の音と、巻き上る塵の渦巻の上に飛んで行く騒音の集団の真中に、豊坊は得意の絶頂で飛んで来る。来る! 来る! 来る!![#「!!」は横1文字、1−8−75] そして一瞬の間にイレンカトムの目前を通ってしまった。
 咽《む》せそうな塵埃《じんあい》の雲を透して、なおも飛んで行く豊坊の、小さい帽子に向って、イレンカトムは思わず、
「ウッウッーッ!」
と声を出しながら拳を握って四股を踏んだ。それから、溶けそうな眼をして、ソロソロと長い髭を撫で下した。
 斯様にして、当分の間はイレンカトムも、仕合わせな年寄《エカシ》であった。
 僅かの間に、豊坊の身なりはめきめきと奇麗になって来るし、馬の扱いは益々手に入って来る。
 体もぐんぐん大きくなって、どことなく大人らしく成熟《ませ》た豊は、離れて暮さなければならないイレンカトムの心に、唯一の偶像であった。
 実際、大胆で無智で、野生のままの少年は、その容貌なり態度なりに、一種の魅力を持っている。確かに醜くはない。
 澄み渡った声で悪口を云いながら、ちょっと左の方へ歪める意地悪そうな真赤な唇。いつも皆を鼻で遇《あしら》うようにジロリと横目を使う大きな眼。それ等は色彩の濃い、田舎のハイカラ洋服ときっちり調和して、狭い御者台の上にパッと
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