も印度にも無いものである所ではなかろうか。芭蕉には実に微妙複雑な象徴はあるが、抽象はない。少くとも彼の完成した後の芸術境にはない。それだからこそ私たちは、一読「こがねを打ちのべたような」彼の芸術の世界の感性、象徴にひき入れられ、一句一句がそれぞれに「底をぬいて」いること、すなわち夾雑観念のないそのものとしての境地にふれている純一を感じ、対象と作者の感覚の「間に髪を入れざる」印象、本性たがわじの芸術を心に銘じられるのだと思う。芭蕉というと枯淡と言葉を合わせ、一笠一杖の人生行脚の姿を感傷的に描くのが俗流風雅の好みである。真実の芸術家として、芭蕉が「此一筋につながる」とばかり執拗に、果敢に破綻をもおそれず、即発燃焼を志して一箇の芸術境をきずいて行った姿というものは、平俗に逃避したりおさまったりした枯淡と何等の通じるものをもっていない。はりつめて対象の底にまで流れ入り、それを浮上らせている精神の美があるからこそ、芭蕉の寂しさの象徴は感覚として活きているのだし、感覚としての響とひろがりと直接さをもっている。そういう一世界を十七字のうちに立てるため、とらえて現実とするために芭蕉は様式についても言葉一つ一つについても敏感であったのは当然であろう。その点では談林のお喋りに反撥して、鬼貫が「まこと」一本やりで、すがた形を二のつぎにした態度から、歴史的一歩を歩み出している。芭蕉は、二六時「内につとめたる」主観と対象の刹那の結合で俳諧は出来るべきもので、つくるべきものではないとしたが、それは作為を拒んだので、一句一句そのものとしての世界が客観的に確立すべきことは目ざされていた。一つの句は一つだけ、自身のマンネリズムで作るなということもきびしい表現で云っていて面白い。芸術と人生の生きかたを刻々に流れ動きしかも不易である豊富な生命に一致させようという志から、一笠一杖の生活も発している。僧侶風な遁世とは違う。今日私たちが芭蕉に感じる尊敬と感興は、十七世紀日本の寂しさと現代の寂寥の質の違うことを確りと感情において自覚しつつ、従って表現の様式も十七字から溢れていることを知りつつ、猶芭蕉が自身の芸術にとりくんだ魂魄の烈しさによって、今日と明日の芸術の建設のための鼓舞を感じるところにあると思う。芭蕉は弟子に向って、師である彼の芸術的境地の「底をぬけ」ということを切に切に云っている。そういう人物の見当ら
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