低く高く遠近の山を見晴らし、すがすがしい松林を眺め、四周《まわり》は温和な海近い山あいの自然だから、その真中に暴力的に出現している高い新道は、いかにも一路がむしゃらというこころもちを与えた。旧道は、この地域の人々が昔からその生活の必要につれておとなしく、細く、山裾をまわり、川に沿い、坂をのぼり下って踏みかため、ずっと低い地点にうねっているのであった。
「ひどいねえ」
眺め眺めて、歩きながらひろ子は心から歎息した。
「人間の歩く道じゃあない」
その歎息は、再び石田の家の内部をさえ、この一本の軍用道路が直線に貫いてしまったのだという悲痛な思いと結ばれた。
「ね、縫ちゃん、よくきいておくれ」
ひろ子は悲しみにみちた眼の色で話した。
「つやちゃんはああいう人で、きっと、田原の人たちも不満足だろうと思う。きょうなんかだって普通じゃなかったわ、けれどもね、考えてみれば、あのひとは、お母さんがお選びになった人だからね、お母さんは自分で切ないたんびに、どんなにか自分の責任も感じていらっしゃるにちがいないのよ、そう思うだろう?」
「ええわかります」
「わたしはね、お母さんが辛がっていらっしゃるのを見ると、むらむらして来るのさ。あの、おばあちゃん、という声きくと、背中が強ばってしまうさ。でもね、わたしは、お母さんが辛棒していらっしゃる以上、もう決してとやかく云わないことにきめたの、わかる?」
「わたしも、おばさんが余りお気の毒で。……」
「お母さんの忍耐に敬意をはらって、もう決してかげでとやかくは云わないことにきめた。いい?」
「よろしうあります」
「つやちゃんの人生だって、ほんとに気の毒だもの。いくさなんて、何てひどいんだろう――女の神経でつやちゃんを刺戟しまい、ね?」
「ほんそうでありますのう」
二人はだまってしばらく歩いた。永年の戦争は、この土地から、ここに生れ、ここに育った若者たちを、根こそぎよそへ運び出してしまった。その代り、見知らぬ他国から、これまでそこで生活し働いていた場所から否応いわせずひきはがされて来た男の群を、新道沿いの部落部落に氾濫させた。良人を奪われた妻たち、息子を失った母親たち、結婚しようとして相手をもち去られた娘たちは、夫々の思いで、その見知らぬ男の大群を見守った。男の群が膨脹するにつれて、物価が騰貴して行った。そして、どの男の眼にも、心の飢えが感じとられた。女たちの瞳の中に複雑な警戒の色があらわれ、同時に、どっさりの若い娘たちが、機会を失うのをおそれるような遑《あわただ》しさで、入りこんで来た男たちの妻となった。だが、そういう偶然によって男たちの妻になって行くことを考えられない娘もたまになくはなかった。縫子はその一人であった。縫子の住む界隈にのこっているのは、ほんの小娘の十七八がらみのものばかりであった。二十四五になって家にいる娘は、縫子一人とさえ云えた。兄を出征させているその縫子は、空襲の余波で瓦がみんなずりこけたわが家の屋根に登ってそれを修復した。
新道が山の切通しを抜け切ったところに、新しい朝鮮人部落が出来ていた。長いきせる[#「きせる」に傍点]をくわえた二人の老人が、部落のはずれにしゃがんで、のんびりした声で話している。一人の方が珍しく紗の冠をつけて、黒い紐を黄麻の服の胸の前に垂らしていた。そこだけ眺めていると、いつか絵で見た京城かどこかの町はずれのような印象である。
田を埋め、山を切って一直線にのびて来た新道は、一里余来たところで東西に走る新設の大道路と丁字形に合した。トラックの轍《わだち》の跡でほじくりかえされている泥濘の道は、ここから堂々アスファルトの大道となって、工廠のぐるりにめぐらされ夫々の門に向っているのである。が、
「これからは、道がようなりますよ」
と縫子が教えた大道路へ出て、おどろきは却って深められた。
五年前、ひろ子が懐しく眺めてとおった山峡の三つの小さい沼はどこにもなくなって、赭むけにされた山頂に掘立小舎と官舎があり、その頂上に貯水池が、作られていた。そのすこし先に、発電所があった。そこは完全に爆破されて、廃墟になっている。道路ばたに、その発電所用らしい大きなモーターのようなものが厚いカンバス覆をかけられていくつも並べられていた。そのあたりは、右手がずっと工廠の灰草色の暗鬱な高塀だが、その高塀のところどころは崩れて、通行人の足もとまで松の樹がこけ出している。アスファルト大道と云うものの、その二十間道路の上には、どこもかしこも多量の泥が流れていて、勾配の計算が杜撰《ずさん》にされた証拠に、あるところでは、大水溜りがあった。
看板ばかりが大きい下宿屋、飲食店、あとは、××工務所出張所と云った風のバラック建が、大道路に向って並んでいる。八月十五日以来、これらのあらゆる箱の中から、利慾でうごめいていた人間の姿が消えた。ひろ子たちが歩いてゆく今、それらのある窓は板を釘づけにされたまま、或る建ものは看板をかけたまま空屋となっていた。前の歩道では、四五日前の暴風雨のせいか、それとも空襲のときにそうなったのか、根っ子をむき出してプラタナスの並木が数丁に亙ってなぎ倒されていた。倒れたままプラタナスの青葉は、泥によごれながら緑の葉をしげらせていた。
面白くない顔をした男たちが歩いて来る。一つのロータリーのところへ出て、ひろ子は思わず、
「何だろう!」
憤りを声に出した。
「まるで、こうじゃないの」
右手で、盤の上の駒を荒々しく刷きのける恰好をした。縫子の家は、そこからじきなのであったが、土着の住民たちの生活は、全く無視されて、横丁のどぶ端へせせこましく追いこまれている。ここでは清潔なアスファルト大通りの上は、迷彩がほどこされ、空虚に、一直線に工廠の門へ通じている。そのロータリーに、安田銀行が、目立つ角店を出していた。
「閉めてるの?」
「いいえ、やっちょります」
つきあたりに、古鉄の紙屑籠のようになった工廠の大廃墟がそびえているのであった。
この大通りから一歩横丁に曲ると、この十何年来ひろ子が愛着をもって時折歩いた林道、昔少年だった重吉が祭礼の列について走った村の道が、ぼろの布はじのように溝端に押しつけられてのこっていた。ガタガタになっているその町並の中でもまず目に入るのは、ガラス張りの近代風な銀行であった。それは、三和銀行であった。このせまい界隈に、いくつの銀行ができたというのだろう。工廠そのものはひしゃげた鉄屑の大集積になってしまった。しかし、これらの銀行はまだまだ生きて音も立てずにその活動をつづけている。
ロータリーのあたりから、旧い村町が蒙った変化を観れば、空襲でこの大工廠が跡かたもなく破壊されたことなどは、むしろ、かえって整理の方向への第一段のようにさえ思われた。人々の生活の安定は、とっくにその前に壊されていた。抵抗しがたい暴力がのたうちまわり、住民の生活をはねとばし、直線の大道路をひきまわし、しかも何一つとして完成させないで、突然その狂暴な力は虚脱した。みるすべての人々を絶望させる子供だましの壮大さと、虚勢の尻切れとんぼとがあった。無意味なものとなり、空虚なさびしさを示すばかりのアスファルト二十間道路。ひっくりかえって起すもののないプラタナス並木の青葉。やたらに建物ばかり大きく建ててみたが、全部つかい切れないでその一階で不活溌に執務している郵便局。
ここにおびただしい人間が集められ、生きていた。しかし、生活らしい生活は無かった。五月頃から
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ニッポンよい国 花の国
七月八月 灰の国
九月十月 よその国
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そういううたが、街上でうたわれた。一台のバスにきっと憲兵が一人はのってはしりまわっている。その街路で、このうたが流行し、うたわれた。生活にかぶせられている愚弄と穢辱《わいじょく》に腹立つ感じが、人々の間に、そのうたの辛辣さが共感されたのであった。
十三
いかにも、熱心で向上心にみちた若い女教師がつかうらしく、その机の上は整理されていた。きちんとおかれた赤とブルーブラックのインク。硯箱、和英、英和と漢和の字書。まとめて綴られている書類。教育、心理、物象などの参考書。そのわきに少女っぽい花瓶がおかれ、白いえぞ菊の花が飾ってある。
反対側の縁側に、脚のこわれかけた食卓があり、そこを見ると、つつましくパフや紅刷毛があって、さわ子の化粧台となっている。ととのったなかに、若々しいととのわなさがこぼれて、愛嬌となっている部屋の空気は、ひろ子のこころをやわらげ、おちつかせた。
毎日仕事のためにつかわれ、そのために手入れされている机の居心地よさ。東京で、ひろ子が一人留守居していた弟の家のある地域は、一月下旬から空襲をうけはじめた。壕の中で食事をする生活では、机はそこにただ置かれているというばかりであった。食事をしたちゃぶ台で、茶碗を片よせて、重吉への手紙は書かれた。
福島の田舎の家では、机はあってなかった。ひろ子は、そこにいて、毎日、北のことばかり考え、青函連絡船の恢復を待ち、網走へ、網走へ、とばかり思いつめていたから。その思いは、云わば膝の上に板一枚のせただけでも、あらわせるものだったし、更にその板を奪われても、なお書きつづけられるようなものなのであったから。
古びてラックもはげたさわ子の机のまわりにある雰囲気は、きょうはきのうから生れ、明日はきょうの中からぬけ出てそうして続いてゆくものであるという生活の真実をそのままうけとって生きている者の単純な落付きであった。
半歳の間、東京での生活はサイレンの音ごとに苦しく遑しく寸断されていた。どっちを向いてみてもひろ子の、内心をつらぬいて流れている未来へのつよい確信と、調和するものを見出せない苦悩があった。
福島の暮しでは、ひろ子の明日への感覚は、船へ乗れる日を待ちかねるこころもちと不可分に結びつけられて、前のめりになったきりであった。そのひろ子を一員として営なまれている生活で、小枝のまるい、成熟した女としての眼は、明日が来ざるを得ないことを知ってはいるが、その明日の意義は彼女にとって、何であろうかときかれれば、困惑におちいる表情をただよわせていた。そこでの一家の生活は、大水に根太ごと浮いた一軒の家に似ていた。水の流れにつれて、その家は、形をくずさず、微かにまわりながら流されていた。何かにぶつかって急に崩れるまでそれはどうやらそれとしての形を保ったまま流されていた。
家の裏を、象徴的な軍用道路につっきられ、生計も破壊された重吉の家で、明日というものはむこうから、昨日と同じようでいて違ったあれこれの心配ごとを運んで、けなげにそれに立ち向っている母とつや子の生活に押しかけて来るもののようである。
さわ子の机の居まわりには、廃墟の堆積物の間から咲き出ている一本のたんぽぽのような風情があった。それは本当に小さい、単純な存在だけれども、その単純さの完璧は、満目の荒廃の中にあって通りがかるものを優しく感動させ、いのちあるものへの信頼をよみがえらせる。
さわ子は、空襲のときでも、上空の音響をきいていて、母さん、きょうはここにいていいね、と云うような気立ての娘であった。おのずからの若さばかりでなく、彼女の若さには、伸びようとする一筋の押えがたいものがこめられていた。それは、知らず知らずのうちにさわ子の生きてゆく日々に一貫した生活のよろこびをそよがせているのであった。さわ子が若さの中に感じている未来というものの図どりは、どういうものか。ひろ子とそういうことを話し合ったこともなかった。この前来た頃のさわ子は、海風に腕まで日やけした短い下げ髪の女学生であった。師範の寄宿舎でおなかがすくことを話して笑いこけていた。今度来てみれば、早春の枝のようにコチンとしていたさわ子のからだは、はればれと二十一歳の愛くるしさにみちて、声も美しく深まった。浅黒い面立ちのうちにあるおとなしさと熱意とは、つつましく身だしなみのよい若い女教師の表情に、独特な味わいを与えている。
ひ
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