たぎらせて居た空はにわかに一変する。
 細かに細かに千絶《ちぎ》れた雲の一つ一つが夕映の光を真面《まとも》に浴びて、紅に紫に青に輝き、その中に、黄金、白銀の糸をさえまじえて、思いもかけぬ、尊い、綾が織りなされるのである。
 微風は、尊い色に輝く雲の片《きれ》を運び始める。
 紅と、紫はスラスラとすれ違って藤色となり、真紅と黄はまじって焔と輝く。
 暗の中に輝くダイアモンドの様に、鋭く青いキラメキをなげるものがあれば、静かに、おだやかに、夢の花の様に流れる。
 一瞬の間も止まる事なく、上品に、優美に雲の群は微風に運ばれて、無窮の変化に身をまかせるのである。けれ共、紅の日輪が全く山の影に、姿をかくした時、川面から、夕もやは立ちのぼって、うす紫の色に四辺をとざす間もなく、真黒に浮出す連山のはざまから黄金の月輪は団々と差しのぼるのである。この時、無窮と見えた雲の運動は止まって、踏むさえ惜しい黄金の土地の上を、銀色の川が横《よ》ぎって、池の菱の花は、静かに、その瞼を閉ざすのである。
 池の最も美わしい時、この池の尊さの染々と身にしみる時、それは只、真夏の夕べの、景色にばかり、池の真の価値は表われるのである。
 此の村に置くには、あまりに美くしい池である。
 山々の峰が白んで、それが次第に下へ下へと流れて来る毎に冬は近づくのである。
 寒い――只寒いばかりの此の村の冬は只池にはる氷に若い者がなぐさめられるばかりである。
 けれ共、三月四月と、春の早い都に花が咲く頃になると、山々は雪解《ゆきげ》の又変った美くしさを表わす。
 快く晴れ渡った日、四方を取り巻いた山々の姿を見た時、誰でもその特長ある、目覚しさを讚美しないものはないのである。
 雪の皆流れ落ちた処、まだ少し残った処、少しも消えない処、等によって皆異った色彩を持って居る。
 皆雪の流れた処は、まだ少しもとけない処が雪独特の白さで輝くのに反して、濃い濃い紫色ににおうて居る。雪がまだらに、淡く残っている処は、いぶし銀の様に、くすんだ、たとえ様もない光を放して居る。始めて一眼見た時は、ただそれだけの色である。
 けれ共、その、まばゆい色になれてなおよくその山々を見つめると、雲の厚味により、山自身の凹凸により、又は山々の重なり工合によってその一部分一部分の細かい色が一つとして同じのは無いのを見出すのである。
 この様に、東北にはまれな、しなやかな自然の美は此村に沢山与えられたけれ共、物質の満足、精神的の美と云うものは、此村には十分与えられてない。絶えず、不自由に追い掛けられて、みじめな、苦しい生活をしなければならない理由《わけ》。それは、その村人自身にならなければ分らないけれ共、気候が悪いし、冬の恐ろしく長い事、諸国人の寄合って居る事、豊饒な畑地の少ない事、機械農業の行われない事、などは、他国者でも分ることである。
 明治の初年、この村が始めて開墾されてから、変った生活を求めて諸国から集ったあまり富んでいない幾組かの家族は、あまり良いめぐり合わせにも会わないで、今に至って居るのである。
 米沢人はその中での勢力のある部に属して居る。日常の事はさほどの事はないけれ共、少し重立った事になると生国の違いと云う感じが都の者ほどさっぱりとは行かず、とけがたいわだかまりになってお互《たがい》の一致を欠くのであった。
 土地の大抵は粘土めいたもので赤土と石ころが多く、乾いた処は眼も鼻も埋めて仕舞いそうな塵となって舞いのぼり、湿った処はいつまでも、水を吸収する事なくて不愉快な臭いを発したり、昆虫の住居になったりする。長年耕された土地でさえも肥料の入るわりに良い結果は表れない様な地質である、その上に耕すのも、ならすのも、収獲するにも、工業的《こうぎょうてき》の機械を用うる事はなく、鍬《くわ》、鋤《すき》、鎌《かま》などが彼等|唯一《ゆいつ》の用具であくまでもそれを保守して、新らしい機械などには見向きもしない有様で、それだから機械などはほとんど村に入り込んでは居ない様子である。
 地質がよくないとは云え、機械農業が発達さえすれば、今までより少しは多く収獲が有るのは定《き》まった事だろうのに、農民は、発明される機械を試用する気にならず、又其を十分利用するだけ、序[#「序」に「(ママ)」の注記]的な頭脳は無いものの方が多いのでもあろう。
 斯うして、荒れやすい土を耕し、意地《いじ》の悪い冬枯と戦うにも只、昔からの伝習だの、自分の小さい経験などを頼む事ほかしない。此処いらの純農民は、随分と貧しい生活をして居る。
 養蚕《ようさん》は比較的一般に行われて、随って桑畑も多い。けれ共、大業にするのではなく、副業《ふくぎょう》にしているのだからその利益もしれたものである。
 一年の間、春、夏、秋、と三度蚕を飼ってあがる利益
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