。女中は炬燵の中で、松の枝に下った「つらら」に砂糖をつけてカリリ、カリリとたべて居た。

   (六)[#「(六)」は縦中横]

 雪解《ゆきげ》で一しお寒さがはげしい。
 キラキラしい太陽が面《かお》を出したので雪からは少しずつ水蒸気が立って行くのが見える。あたりが何となし、うるおって、ハアッと息を遠くから吹きかけた鏡の面の様な空合になって居る。太陽は美くしい色に輝いて居るけれ共、寒さはひどいので、小川の面から息が立って居る。土地は汚なくなって行くばかりである。昨日、一日休んだ馬が、パカッ、パカッと勢よく、町へと里道を小さい穴だらけにし、草鞋の両方へ、泥をとました足跡で、道はゴタゴタになって仕舞い、鶏が、馬の蹄の跡の穴の泥水みたいな中へ足を踏み込んで、腹まで羽根をどろでかたまらせて居る。
 小川の水かさが少しました。三番池には、非常に沢山の水鳥が群れて居る。五、六羽白い色のも見える。何だか分らない。大抵は鴨位の者であろうが、白いのだけは流石にもっと好いものらしく見える。
 昼近くなってから甚五郎爺が一羽まだバタバタして居る鴨をさげて来た。田の中に昨夜から「繩落し」を掛けてとったのだと云った。大方彼の群の一羽で有っただろうと想って見る。非常に羽色が美くしい。頸の、群青色等は又とないほど輝いて、そのまんま私の頸に巻きつけたいほどだ。足なんかもさえた卵色をして居る。
 食べるのは惜しいからこのまんま飼おうと云ったが聞き入れられなかった。甚五郎爺も、あまり食物がないからとってきたのにたべないなら又放して仕舞うとさっさと足を握って裏へつれて行って仕舞った。
 鴨の肉は好いて居ない。何だか鴨くさい臭がする様だ。鴨雑煮をすると云って居る。私は裏へ行かない。こしらえるのを見ては一切だって喉を通るものではない。甚五郎爺は薬だと云って鳥の「きも」を出すとすぐ生《なま》のまんまのむと聞いて、私は喉へ丸《たま》が上って来るようだった。鳥にも「きも」なんてあるものかしらん、私は獣ほかない様な気がして居た。昨日の雪見舞の者達に皆食べられて餅がないので女中は源平団子にもちごめと引きかえに餅をとりに行った。東京の鴨の様に臭がない。
 お八つ頃、例の芝居ずきの御婆さんを呼んでやる。結構だ結構だと云いながら、年に合わしては随分沢山たべて、こないだ見て来た多助の芝居の話をした。多助が「青」と別れる処を
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