横になる程疲労していたが、公判は続行された。すでに他の同志たちは分離公判が終結していた。被告宮本ただ一人、傍聴者は弁護士と妻と看守ばかりという法廷であった。戦争に気を奪われ左翼の存在を忘れさせられた人々は殺人の公判には傍聴に入っても治安維持法の公判廷には姿を見せなくなった。治安維持法の意味を知り、公判に関心をもつ人々は危険をおそれてあらわれなかった。
翌年の〔十二〕月一審判決まで不思議に人影の少い、しかし意味の深い「公開裁判」の法廷がひらかれつづけた。
私としては実に多くのことを学んだこの公判の期間をとおして、一九四三年一月スターリングラードにおいて死守の命令をうけたナチス軍が消息を絶ったというニュース、反ファシスト軍がイタリアのシチリア島に上陸して戦果をおさめ、ムッソリーニが辞職したニュース、イタリアの降伏などはまるで息づまる格子の間からさしこむ明るい光のようにうけとられた。ファシズムは勝利しないという希望が強くわいた。しかもその喜びは決して表現することを許されないものであった。私は公判廷と弟の家事との間を往復して暮していた。
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一九四四年(昭和十九年)

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