ある」
と云った。
「坂口はん、知っとってじゃないんでありますか」
「知らんの」
「反古《ほご》とちがうのか?」
正一が気味わるそうな指つきで、その一応は印刷になっている株券をつまみあげたので、皆が笑い出した。おさやは改めてそれを手に取って眺めた。
「本当に値うちのあるもんやったら、なんぼ警察やて、半年も放りこんでとりあげちゃ置きやすまい。株屋は、つかまりよったんか?」
「つかまっちゃおらん」
「今は憲兵隊になっちょります」
と直二が生真面目に持前の大声で云ったので、又、笑った。坂口の爺をひっかけて、初め二百円程儲けさせ、千円ばかり出させた株屋が、現金の代り、今取引しかかっているのだがあなたが是非今日と云うならばと、その建鉄株を現金に相当な額面だけよこして、翌日はその店から行方を晦《くら》ましてしまった。何か犯罪があるということで、坂口が渡された株券は証拠物件として半年も警察にとりあげられていたのであった。
正一が、
「うっかりすると、坂口はん首つらんならんようになる」
と云った。
「夕方、下屯田をひょっこひょっこ歩きよった」
「茂一の店へゆきよってのじゃろ」
真偽の知れない株券はそれなり又箪笥へしまいこまれた。
「箱をかえにゃいけんなあ」
ひとりごとのように云いながら、おさやが隅のつぶれた「朝日」のボール箱を引出しからとり出してふたをあけ、ちょっとなかを調べて埃を吹いた。
「なんで」
「お父はんの勲章や」
お縫が、
「あら、うち、見たこと一ぺんもないわ」
と云った。
「軍隊手帳も入っちょりますか」
「入っちょる」
「どれ」
金鵄勲章という名だけはきいていて、お縫は現在目の前のボール箱の中に入れられている品とは何かしら見かけも全く別なものを想像していた。こういうものにも沢山の種類があるのであろう。その箱の中に、庄平が達者だった時分の写真が偶然一枚混りこんでいた。黒紋付を着て、その勲章のほかに二つ並べて胸に下げている。写真にうつっている方が、却って本物らしく見られるのであった。
皆、暫くは何も云わずに勲章を眺めていた。やがておさやは黙ったまま、元どおりボール箱の蓋をして、株券と同じところにそれをしまい込んだ。
底本:「宮本百合子全集 第五巻」新日本出版社
1979(昭和54)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷
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