に巣をくっている。その鬼は重蔵を決して安心させないだろう。幸福にもさせないだろう。何万あるのか知らないが、そのためばかりに、重蔵は自分の一番近い筈のものへ自分の心の一番冷たい憎悪と打算とを向けているのである。そう思って、負けずぎらいな重蔵が瀬戸ものの歯の間から響かせる高笑いを聞いているだけでもお縫は胸苦しいような気がした。年頃のお縫には、こういう家庭の紛糾もまんざらよその話とばかりは聞けなかった。いつか自分の身の上にもはじまらなければならない嫁|舅姑《しゅうと》の田舎らしくせまい日常の底にかくされているうすら気味わるいものの影が計らずもそこに見えがくれしているようで、遠いようで近いような現実的な圧迫を感じさせられるのであった。
お縫は、やがて下駄を突かけて、ゆうべの浅蜊の殼をもって裏へまわった。古い無花果《いちじく》の木の下に手造りの鶏小舎がある。お縫はトウトトとよびながら、先ず玉蜀黍《とうもろこし》の実をまいてやり、どこかへ運ぶ塩俵のつんであるねこぐるまの置いてあるわきの丸っこ石の上で貝殼を叩き砕いては、小舎の中へなげた。
裏から見ると、庄平の店と住居とは、麦畑と表の往来との間に、まるで切り出しの刃のように片そげになった狭い地べたの上に随分無理をして建て並べられている。片側は往来のすぐ裏がもう線路で、やっと一側の家が並んでいるだけだし、その向い側はすぐ畑や田圃につづく松山にさえぎられて、村全体が奥ゆきない埃っぽいかまえであった。何年か昔、ここへステーションが出来るというので、何か一つ新しいたつきをと求めて集った家々である。
村じゅうがひっそり閑として夕方近い西日に照らされているこういうひととき、停車場で汽車の汽笛が一声鳴ると、その音は西日のすきとおる明るさのなかに谺《こだま》して、あっちからこっちの山へとまわって響いた。それは変に淋しかった。つづいてギギーと貨車か何かが軋る音がしてガチャンと接続のぶつかり合う音がしてまたあとはしーんとしてしまうようなとき、お縫は胸のなかをしぼられるように我家をなつかしく思った。
お縫のうちの方は、こことはちがって、海辺に近い半農半漁の村暮しで、寺の山にのぼると、小笠島というめばる[#「めばる」に傍点]のよくとれる島のまわりからずーっと瀬戸内海が見渡せた。村の浜は風景が美しいので有名な海浜で、昔ながらの村落は、海辺をかこむ松
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