りこむ日用品をも楽に供給するために、出来たことなのである。
ずいぶん粗末な小屋掛け同様の建物が出来、むこうの部落まで、真中に一ヵ所停留場を置いて、数間置きに支柱が立って、鋼鉄の縒綱《さこう》が頂上の滑車に通り、いよいよ運転を開始したのは、もう七月も半ば過ぎていた。
六はもちろん、早速見物に行った。
そしてもうすっかりびっくりしてしまった。
何から何まで珍しい。たまげることばかりである。
仕事が始まるから終るまで、小屋に立ちつづけて、まったく「不思議なもの」の働きを見るのが、彼の新しい飽きることのない日課となったのである。
或る日、六はいつもの通り小屋へ行こうとして家を出かけた。
そして、とある林の傍へ来かかると彼の目には妙なものが見えた。赤い小さい、可愛い椅子が、何かをのせて空の真中を歩いて行く……
さも呑気《のんき》そうに気持よさそうにスースー、スースーと針金の上を滑って行く……
彼はこんなところから、索道が見えようとは思ってもいなかったのである。
椅子は林の上を通って行くのだ、あんなにも高く!
高く……広く……山を越え……河を越え……スースー……スースー……
六は、不意に或る思いつきに胸を打たれた。
「俺ら、俺らあれさ乗ってんべ!
鳥のように飛んで行ける!」
六の心臓は今にも口から飛び出しそうになってしまった。
ころげるようにして、小屋へ馳けつけた彼は、いきなり出ようとする空椅子を捕まえると、ギューギュー自分の体を押しつけながら、
「乗せてくんろ! よ、おじちゃん。
俺らこれさのせてくろよ!」
と叫んだ。
「まあこの餓鬼あ!
あぶねえわな、おっこったら何じょうするだ……」
「やめろっちぇな、
おっこったらはあ、木端微塵《こっぱみじん》になっちまうわ」
「なあに大丈夫、
こんな餓鬼が一匹や二匹乗ったからって、すぐ落ちるような機械を、誰《だあ》れもわざわざ発明もしなけりゃあ、買いもしないやな。
仕事びらきんときあ、町役場のお役人さんが、藻埴《もにわ》まで行って来なすつあね。
大丈夫よ、オイ、小僧。
乗ってもいいが、帰りの椅子で戻って来ねえと、ぶっぱたくぞ」
六の小さい体は、椅子の刳込《くりこ》みにポックリと工合よく納まる。
嬉しさで半ば夢中だった彼が、ようよう少し落付いてあたりを見まわしたときには、もう自分の体はいつの間にか、すっかり町を離れて、或る川の傍まで運ばれて来たのを知った。
河原で一人の男が石を破《わ》っている。
槌を石に打ち下した。と思うとやや暫く立ってから、カツ! カツ! という音が耳へ来る。
手元を見ながら音をきくと、ウツカツ! ウツカツ! というようだ。
「ウツカツ! ウツカツ! ウツ……」
だんだん音が微かになると、目の下には茂った森が現われた。
絶えず陽気でお喋りな若い葉どもは、お互にぴったり肩をすり合わせ、頭をよせ合って、しきりに早口で何か囁き合ったかと思うと、クックッ、クックッ微笑み始め、やがてさも堪えきれなそうにサアッと分れて大笑いに笑い潰れる。
と、仲間の一人が、ふざけるような様子をして頭を擡げ、眩しい眼をしばたたきながら、フト自分等の上に来かかる子供を見上げた。
「オヤ、まあ」
サヤサヤ、サヤサヤ……葉どもは一斉に身をそらせて彼を見る。
「アラ、人間の子よ」
「まあ、あんなものに乗っかって……おかしいわ」
「ほんとにまあ、たったあれんぼっちの子!」
「まあ……」
口々に囁きながら、行き過ぎる彼を見なおそうとして、ぶつかり合い縺《もつ》れ合い、大騒ぎで身じろぎをする。
サヤサヤ……サヤサヤ……
涼しいすがすがしい薫りが六の体のまわりに満ちわたった。
足の下で山鳩が鳴く。
カッコー……カッコー……
しとやかな含み声の閑古鳥の声が、どこからか聞える。
常春藤《きづた》が木の梢からのび上って見上げようとし、ところどころに咲く白百合は、キラキラ輝きながら手招きをする。
六はもう、得意と嬉しさで有頂天になってしまった。
世界中が俺の臣下《けらい》のように畏《かし》こまって並んでいる。
今こうやって、鳥より楽に、素晴しく空を歩いている俺、たった一人のこの俺!
スースー……スースー……
王者になったような心持でいる六をのせて、綱はだんだん山奥へ入って行った。
景色は次第次第に珍しく、不思議になって来る……
周囲はますます静かにひそやかになって来る……
六は急に飛びたくなった。飛びたく。
あの雲の峯、あの……
彼は思わず前へのめった。瞬間椅子は重心を失った。
オミョオミョワラーー――ン……
天地中が隅から隅まで、一どきに鳴り渡ると感じる間もなく、六の体は太陽の火粉のように、真下の森へ向って落ちて行った。……
底本:「宮本百合子全集 第一巻」新日本出版社
1979(昭和54)年4月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第一巻」河出書房
1951(昭和26)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年1月2日公開
2003年7月5日修正
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