理想が、跡かたもなくふきとばされているのが身に沁みます。私たちも、そのときは、肩で人を押すようにして、乗らなければなりません。けれども、そうしてその時に乗ってしまえば、其で私たちの考えることもすんでしまったわけでしょうか。ほんとに嫌になっちゃうわ、ねえ、という丈をくりかえしていてすむものでしょうか。
こういう社会全体との関係で起っている事柄について、私たちが、今何を考えたからと云って、急に省線の車台をふやすことは出来ません。同時に、其だからと云って、考えずにいてよいかと云えば、其は間違いです。よしんば、私たちに、すぐ車台をふやせなくても、せめて自分たちだけは、出入口に立ちふさがらないように。そして、みんな気が立って、つんけんとこわい心持になっているときに、平静な、親切なこころを失わないように、そう努力することが無駄であると嗤う人はいまいと思います。
一カ月ばかり前のことでしたが、上野高女の生徒が、学校当局と意見の衝突をしたことがありました。学業もすてて耕作した作物を、先生が独占したことに対する不満が原因であったと記憶します。新聞の記事だけでは、双方の事実が十分に明らかにされてはいなかったでしょうと思いますが、ああいう事柄について、皆さんはどうお感じになったでしょう。私は、その感想を知りたく思います。まるで自分には関係のないことと見て過たでしょうか。それとも、自分たちなら、こうする、という風に思えたでしょうか。それとも、上野高女の生徒のこころもちに、同感をもって話し合ったでしょうか。
自由のこころをもった人は、他人《ひと》の自由な心の動きに対して、感じやすいものです。思いやりと、判断とが早いものです。自分たちの同情なり、批評なりを、はっきり表現してゆく朗らかさをもつものです。
みなさん、どうお思いですか、と訊かれて、何となし首を下げ互にさぐり合い、すぐ訊かれたことに答えられないのが、これ迄の日本の憐れな制服の処女たちの姿でした。これ迄の教育は、学校でも社会でも、つつましさ、女らしさというものを、無智や卑屈さと同じもののようにして、少女たちにつぎ込みました。
行儀よく並んだ空壜《あきびん》に、何かの液体を注ぎこみでもするように、教えこまれるあれこれのすべてが、少女たちの若々しい本心に、肯かれることばかりではなかったことは確です。これ迄は、黙って、そっと、心にうけ入れず、其を外へ流し出してしまうしかしかたがなかったでしょう。それは、大人も皆そうでした。しかし、今は、そういう家畜のような生きかたをしないでよい時になりました。自由の時代がはじまった、ということは、私たち一人一人が、自分の希望と共に其を実現してゆく責任をもって生きるようになったということにほかなりません。ひとのせいにして置けなくなった、ということです。自分で蒔いたよろこびの種は、その努力に酬いるよろこびの垂穂として、自分たちで刈りとることが出来るときになったということなのだと思います。
若い人々よ。大人が、あなたがたの生きかたを眺めたとき、かつては自分たちも、あのように濁りない瞳、あのように真直な心とをもっていたのだと感動をもって思いかえし、一刻なりとも素直な心をとり戻すように、其位健やかに、熱心に、よく生きようと励んで下さい。
若い少女たちが、その歌声の澄みわたった響で太陽の光線を美しく顫わすように、疲れ、鈍らせられていない良心の流露で、誇りたかく生きる道を進んで行ったら、其姿は、優しくひるむことない進歩の旗じるしとなると思います。
[#地から1字上げ]〔一九四五年十二月〕
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「少女の友」
1945(昭和20)年12月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年11月30日作成
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