強い重い感じが現れた。が、なほ子はその間にも心痛の加るのを感じた。半分笑いながら、
「このお婆ちゃんは頑固でどうしてもお医者がいやだって仰云るのよ。土屋さん、一つすすめて頂戴」
と、なほ子はその客に云った。土屋が帰ると、まさ子は、横になりながら、
「一つは精神的にも来ているんだろう」
と云った。
「この頃は生きている張合がなくなったような気がする――何か期待するなんていう気持がちっとも起らなくなってしまった、極く冷やかな心持だねえ、悟ったって云えば悟ったのかもしれないが……」
なほ子は思わずつよく、
「悟りは冷やかなもんじゃあないことよ、あたたかいはずよ」
そして、笑い出しながら云った。
「けちなこと云い出すと、火をつけるぞ――」
「――何だい――」まさ子は「なんだ、飛んだ婆焼庵だね」
苦笑したが、
「全くね、若い時分には、立派な家に棲っている人を見ると、ああ羨しい、自分もどうかあんな家に住みたいと思ったもんだが、この頃は、まあ一体こんな家の後をどんな人が継ぐのだろう、と思うね、羨しくなんぞちっともない。却って変な淋しい気になる。――それに……この頃では父様の力というものも分って来たし……これ以上の成功は望めないと思って来たしね」
黙って母の傍に自分も横わりつつ、なほ子は心に感じてそれ等の言葉をきいた。母の心の内部に新しい転機が来かけている。それが、どこかで自分の心とふれ合うものらしいのをなほ子は感じた。
昌太郎が、北海道へ旅行しなければならなかった。その留守の間、このようなまさ子一人では心細いし、なほ子としては、どうしても一度信用ある医者に診せないうちは気がすまなかった。三四日泊ることにし、一旦、郊外の家へ帰った。
宵から降り出し、なほ子が十一時過て郊外電車に乗った頃、本降りになった。梅雨前らしいしとしと雨であった。暗い田舎道を揺れながら乱暴に電車が疾走する。その窓硝子へ雨がかかり、内部の電燈で光って見える。なほ子は停留場へつく前に座席を立ち、注意して窓の外を覗いた。誰か迎えに来ていて呉れるであろうか。時間がおそかったし、第一、約束もしていないから当には出来ず、然し、人通りない暗い町を、その元気の足りない心持で一人行くのは閉口なのであった。電車が止った拍子に、待合所の隅でひょいと人の顔が動いた。大変小さい顔に見えた。がそれは総子であった。なほ子はわざ
前へ
次へ
全10ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング