っているのを見て、私はつよくそのことを考えるのである。
ロシア文学史は、どの時代をとって見ても面白いが、私はこの間その中でも感銘ふかい一節を読んだ。丁度ロシアにマルクス主義が入った一八九〇年代の初めに、ロシアの二十県に大饑饉が起ったことがあった。八〇年代の農奴制度の偽瞞的な廃止やその後に引きつづいて起った動揺に対して行われた弾圧のために消極的になった急進的な若い分子は、この饑饉の惨状の現実をモメントとして民衆悲惨の問題を再びとりあげて立った。ゴーリキイがまだ二十一歳ぐらいでニージュニイで自殺しそこなった前後のことである。初期のマルキシストをふくむ急進的インテリゲンチアは、饑饉地方に出かけて行って、その救護や闘争のために全力的援助をした。饑饉が終るとコレラが蔓延し、一揆があちらこちらで起ったが、このとき、怒った大衆の標的とされたのは誰あろう、ともに餓えて疫病と闘った急進的知識人と医者とであった。
このからくり[#「からくり」に傍点]に采配をふるったのは、ツァーの有名な警視総監である大官ポベドノスツェフであった。そして、この奸策を白日のもとに明かにしたのは、もちろんポベドノスツェフでは
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