戸をおろした店のまわりなどまだらな光の裡に、ステッキをつき、浴衣がけで、走っている円タクを止めるでもなく、ぶらりと立っている男が、そこここに目に入る。私はいやな気持で通りすぎた。
 その晩は、仕事のために半徹夜をして、あくる朝目がさめると、私は後手で半幅帯をしめながら二階を下り、
「――どうした? 電車――」
と茶の間に顔を出した。
「ああ、やった」
 身持ちの弟嫁が縫物から丸顔をあげてすぐ答えた。
「源ちゃん、何で行ったの?」
「バスは通ってるんですって」
 その縁先の庭で、もう落ちはじめた青桐の葉っぱを大きな音を立てて掃きよせていたシャツ姿の家の者が、
「電車も、たまですが通ってますよ」
と云った。この遠縁の若者は、輜重輪卒に行って余り赤ぎれへ油をしませながら馬具と銃器の手入れをしたので、靴をみがくことまで嫌いになって帰って来た男である。
 午後になって、私は家を出かけ、もよりのバスの停留場に立った。この線はふだんでも随分待たなければ来ないところである。雨の用意の洋傘を中歯の爪皮の上について待っていると、間もなく反対の方向から一台バスがやって来た。背広で、ネクタイをつけ、カンカン帽をかぶった四十男が運転台にいる。見馴れぬ妙な眺めだ。
 坂の下り口にかかると、非常に速力をゆるめ、いかにも、曲り角などの様子を気遣う工合でそのバスが行ってしまうと、いれ違いに、一台下から登って来た。
 停留場を通りすぎそうなので、私はいそいでかけ出しながら片手をあげ、腰かけてから見ると、運転手は白縮のシャツに黄ズボン姿。車掌は背広のひどく背の高い若い男で、灰色っぽいソフト帽をかぶっている。これにも、さっきむこうへ行ったのにも白い警官[#「警官」に×傍点]が顎紐をおろしてのりこんでいるのであった。
「――東京駅まで……二枚でしょう?」
 黒い書類入れを側において、年とった男が回数券を出してきろうとすると、
「今日は一枚です……のりかえなければ五銭均一ですから」
 俄車掌は、動揺のためのめるまいと長い両脛でうんと踏張り、自分の尖った鼻を腰かけている相手の帽子の下へ突っこみそうに背をかがめ、間のびのした形で腰にぶら下っている鞄の中から釣銭をさがし出す。よほど緊張していると見え、その車掌は客に切符をうる段になると、目ばたきをやめ口をあいて、その仕事に従事するのであった。
 三つまたの大通へかか
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