た。野上さんの謡の先生に、尾上さんという方があって素晴らしい謡だから一遍きかせたいと、招ばれたのです。謡は謡ですんで、内田さん、芥川さん、互に恐ろしくテムポの速い、謂わば河童的――機智、学識、出鱈目――会話をされた。どんな題目だったかちっとも覚えていない。感心したり、同時にこの頃の芥川さんは、ああ話す好みなのかと思って眺めた感じが残っています。作品についても同じ二様の心持が私の内に働いていた。陶器や書籍店の話が出て、私は Gaugh? のカタログを翌日送って上げた。
その他公開の席でちょいちょい会うきりで、その俥に乗って田端の坂を登って行った時以上私の友としての心持は進みませんでした。
七月二十四日に私は母を連れて福島県の田舎へ出立した。二十六日の昼頃、私の友達からの電報、新聞、ハガキ一度に来て、芥川さんの死なれたことを知った。急に立って東京に向ったが、汽車の中で日日新聞に出ていた小穴隆一さんのスケッチを見、涙が迫って堪え難かった。あのスケッチを見た人は誰でも芥川さんがいとしいと思ったでしょう。純なよきものが現れていて、これを描いた人はどんなに彼を理解し愛していたか、また愛されるだけのよさ、心のよさ、小心な位のよさを持った彼であったかが感じられた。(写真はどれも大抵きどっていた)
柩が白い花と六本の小さい蝋燭に飾られ、読経の間に風が吹いて、六つの光が一つ消え、一つ消え、段々消えて、最後まで左右に一つずつの燭が風に揺れながら灯りつづけた。小さい二つの輝は大変美しかった。彼の眼のようであった。その柩の雰囲気と坊さん達の儀式は全然別もので、He went far far away. という心持が迫った。
駒沢の家へ帰る電車の中で、またも小穴さんのスケッチが眼に泛び、私は腹の底から啜泣のようなものがこみ上げて来て仕方がなかった。告別式場の隅に佇んで、浄げな柩の方を猶も見守っていた時、久米さんが見え、二言三言立ちながら話した。
簡単な言葉であったが、私はその時今までのごたごたした心の拘りをすらりと抜け、自分がまともな心持で久米さんに物を云い、その顔を見たのを感じた。
[#地付き]〔一九二七年九月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「
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