であるなどとはまるで思わず、まるで一人前で、心が明るくなったり、暗くなったりするのです。
 算術では、血眼になっても程度が知れている。国語で一つの間違いでもすまい、というのが私の心算《つもり》であった。父が、綺麗な西洋紙の、大きな帳面をくれたことがある。私はそれに赤や紺や紫や、買い集められただけの色インクで、びっしりと書取りをして行った。大判の頁、一枚ときめ、椽側で日向ぼっこをしながらちょうど時候にすればいま時分、とつとつと書きつめるのである。
 一枚、一枚を使うインクの色をちがえ、バラバラと指で翻し、さも学者らしく一杯ならんだ文字を見ると、自分は楽しさで、来ようとする試験の怖さも忘れた。今でも頭にあることは、書く字の要点に非常な注意と、成人の心持とを見通したことだ。例えば、巳《み》という字と己《おのれ》という字との違い、これなどは紛れやすいから、きっとこんなのを試験に出すのだろう、よく覚えて置こう、と思うのである。
 そんなことを考えながらも、若しあの学校が駄目なら、外に何処もあてにするというようなことはまるで思っても見なかった。
 両親が定め、手続をして呉れ、「きっと入れるから、大丈夫、しっかりおし」という母の言葉を、殆ど冒険的に信じていたのである。
 いよいよ入学試験の日が来た。三月三日でお雛祭の日だのに雨まじりの小雪さえ降り、寒い陰気な日であった。何でも、まだ電気の燈いている時分に起き、厚い着物に蝶模様の羽織を着、前夜から揃えてあった鉛筆や定木、半紙の入った包みを持って出かけた。俥に乗り、前ばかりを見つめて大学の横から、順天堂の近くへ連れられて行ったのである。
 小さな小学校の建物ばかりを見なれた眼には、気が臆すほど壮大な大玄関で降ろされると、周囲の大混雑に驚かされた。見れば、みな先生だのお母さん、姉さんなどがついて来ている。自分だけはたった一人で、まるでどうしていいのか判らないのである。ここへ先生が出て来て親切に待合室へ七十二という札を持たせてつれて行って下さった。
 ストーブの暖い、上の水皿から湯気のぼうぼう立つまわりに、大勢成人や自分くらいの人々がい、独りぼっちで入って来た自分を驚いたように見る。――自分が試験されるのだから、母などは、ついて来るものとも思っていなかったのである。が、この光景を見ると、自分は急に心淋しくなった。そして一そう成人ぶった顔も
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング