だけの予算があったって、ねえ、と更に意味ふかく笑った。出来上るのはどうせバラックでしょう? と極めて現実にふれた洞察で云うのであった。
一九四〇年のオリンピックが東京へ来るときまった時、新聞で首都の美醜を写真にして対比したことがあった。醜と目された部分を四年の間に何とかせよという意味がふくまれていた。ところが、醜として撮影された部分が人生の情景として、感情をもって見れば常に必しも醜ではなく、首都の美観の標本として示されたものの中には、却って東洋における後進資本主義の凡庸なオフィスビルディングの羅列のみしかないのもあった。都市の美醜、人生の美醜をどう眺めるかということについて、一つの永い論議がなり立つ問題であるが、ここでは、その方向へは赴かず、私は、一つの熱い心をもって、なぜさように、一部の人たちは日本の民衆の生活をあるがままに示すことを恐れるのか、という質問を提出したいのである。私たちは、窮屈な、窮乏化す日本の民衆として、日々それぞれの形で実に営々として生きている。この姿を外にして私達一般人の人生はないのであるのに、それが抹殺されて、何のためにマダム・バタアフライのサクラ・バナやゲイ
前へ
次へ
全11ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング