紐でしばっておいてある。
 この差入屋の店へ私はあとから入って来たので、今主人が応待しているのは若い女のひとであった。若い女のひとはすっかりよそ行きの化粧と盛装で、白いショールをはずし、それを両手にからみつけるように持って立ち、
「何がよろしいんでしょうねえ、何でもいいっておっしゃるんですよ」
と、ものを書いている主人に、馴れない、すがりつくような様子で云っている。束髪の鬢を乱して黒っぽいコートを着た四十がらみの大きい女がこのひとの伴れらしいが、そのひともショールをはずして膝の上へまるめこみ、沈んだ風で体をねじり、煉炭火鉢に両手をかざして、黙っている。
「サア……何か暖いものがいいでしょうが……」
 主人は顔を下に向けゆっくりと毛筆を運びながら、応答している。
「やっぱり、外であがるようには行きませんでしてね」
「そうでしょうねエ」
 感慨をこめて答えているが、その若い女のひとには、どんな風にそれが外で食べるようには行かないのか、はっきり、具体的に分っているのではないことが口調から感じられる。暫く沈黙がつづいたが、しまいにその女のひとは思案にあまって投げすてたというように、コートにつつんで立っている体を捩り、
「じゃ、何でもようございますわ、おみつくろい下されば……」と云った。
「お弁当をお入れしましょうか」
「ええ」主人は女のひとの方を見ないまま別の紙をひき出し、又その上に筆を動かしている。受取りをさし出されてガマ口を懐からとり出しながら、
「あのう――この次面会するときにも又こちらへおよりすれば、紙を書いていただけますか」
と若い女のひとがたずねた。
 私は、差入屋が面会願いを書くということを、その言葉からはじめて知った。
「お書きします。――あれは、御自分でおかきになってもいいんですがね」
 主人は釣銭を出しながら後の文句を軽くそう答えたのであったが、私はそれをきいていて商売の細かさと合わせ、同じ商売でもこういう特別な商売におのずから滲み出している官僚風な特色をつよく感じた。自分でお書きになってもいいんですというところまでは、この主人が、差入屋としては親切な部だという評判をいつしか得ている点であろうが、進んでその書き方を若い女に教えてやろうとせず、また敢て教えて下さいと云おうともしないところに、商いのかけひきと同時に、その煩瑣な形式で普通人を戸惑わせ、自身を無力な者のように錯覚させている〔十八字伏字〕。
 私は余りいい心持がせずに襟巻を顎の下にひきつけ、そこにかけているのであった。もう一ヵ月以上も〔二十九字伏字〕。そのことを、今日になってやっと知ったのである。
 主人は、〔九字伏字〕ならないもんですからと、口のまわりの大きい皺をうごかして云うであろう。それはそうであるが、〔三十九字伏字〕知らしてやるものは無かった。そんな些細な日常身のまわりのことにまで、〔二十一字伏字〕困難は横わっているのである。
[#地付き]〔一九三五年三月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「文芸」
   1935(昭和10)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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