谷まですぐ省線で来たが、エビスのところで、べこがお文公に小さい声で訊くことには、
「おフーちゃん。家までつめたいもの飲まずにかえれるか」
「ダメ」
「では――うまい! 又ミツ豆へ行こうではないか」
 どう? 淋しかったし、つけ元気で、道玄坂の長唄氷まで出かけたという有様です。そこで水瓜をたべ、引茶氷というの、お文公の発起でとったが、この引茶は不味。半分もたべなかった。それから角の本やによって、第一書房のをとって、来月の『アララギ』を一冊とらせる注文をして、玉川電車にのりました。暑く、汗が出る、出る。水瓜の汗故、サラサラ流れる。家へついたのは十時半すぎでした。
 風呂へ入って、お文ちゃん先へ床につき、自分蚊帖の外へスタンドを引よせ――妙ね、独りになると、皆あれをするのね――ぼんやり、奇麗な蚊帳を見ながら、長く、長く起きて居た。鼠がひどくあばれる。……
 ねえ、もやーさん。今度もやーさん出かけてよかった。昨夜出かけてよかった。私も送りに出かけて行ってよかった。昨夜帰って来てから、心持が大分なおって、元気が出たのを感じました。それに、こんどはまるで一人でないから、やはりそれ丈助り、Bed に横わり乍ら、汽車の窓から頭を出し、扇を振って居たもやーの水色の肩を思い浮べても、苦しい程にはならず懐しく、みーらやで、しんみりした心持です。すべて――スタンドの灯で見る蚊帳も、その白さも、柔らかさも、空《カラ》な隣の部屋の歩き心地も、新鮮な感覚でした。一緒に苦楽園へ汗かきに行くより心理的にずっと有効でした。だから、もやーさん、どうぞ御安心。
 今日はこれから竹中さんへ上げる随筆をかきます。その位のもの書くに最も適した心持で居る。
 斯ういう紙に書くと、巻紙より沢山かくわけね。若しこれが巻紙であったら、もう長い、長い。もやーさん片手で一杯握り切れない位かもしれません。明日、ヴヴノワさんのところへ一寸行くつもりです。それから、若しまだその気があれば Sitting します。
 道玄坂の花やで 虎の尾 を買って来た。日本風な名でしょう、ところが花は西洋くさい花です。
[#地から2字上げ]べこ
  もやあさん
 ポンプ、けさもべこが寝て居るうち、出ない出ないとフーちゃん、貞ベエ、話して居た。――今は出るけれども、水倹約の布告を出しました、今日。
 〔欄外に〕
○デーニギ
 電報が来るまで待って居てよろしい?
 私銀行へ若しかしたら行きません。
○リリオム
 いいでしょう?
○新興芸術では、チェッコ・スロ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ァキア注目に価すると思った。行きましょうね?

 一九二八年九月四日[#「一九二八年九月四日」は太字](推定)〔マクシム・ゴーリキイ宛(持参)〕

   Наш любимый писатель Алексей Максимович!
   Мы две японские писательницы. Приехали в Россию восемь месяцев назад и теперь живем в одной же гостинице с Вами. Нам очень хотелось бы видеть Вас, хотя мы хорошо знаем, как Вы заняты, и очень боимся помешать Вам. Но все‐таки мы очень рады были бы, если Вы уделили бы нам несколько Вашего дорогого времени. Когда Вам удобно.
[#地から2字上げ]Юрико Тюдзё
[#地から2字上げ]Иоси Юаса
   〔私たちの愛する作家アレクセイ・マクシーモヴィチ様
[#ここから4字下げ]
 私たちは二人の日本の婦人作家です。八ヵ月前にロシアに参りまして、今あなたと同じホテルに投宿しています。私たちはぜひあなたにお目にかかりたいのです。あなたがご多忙であることはよく存じていますし、またご迷惑をかけることも心苦しく思うのですが。しかし、それでもなお、あなたが大切なお時間を少しでもさいて下されば、このうえない喜びです。いつご都合がよろしいでしょうか。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]ユリコ・チュージョー
[#地から1字上げ]ヨシ・ユアサ〕

 一九三八年一月十二日[#「一九三八年一月十二日」は太字](消印)〔市外小金井町一三九二 笹本寅宛 小石川(消印)より(はがき)〕

 御年賀をありがとう存じました。なかなか烈風吹きすさぶ新春です何卒御自愛下さい。
[#地から2字上げ]宮本百合子

 一九四三年九月八日[#「一九四三年九月八日」は太字]〔大森区新井宿一ノ二三四五 高根包子宛 本郷区林町二一より(封書)〕

 先日は山からのおたよりありがたく頂きました。お忙しくてもいつも御元気で本当に何よりとおよろこび申しあげます。
 わたくしも五ヵ月がかりの問答が一応終り、むずかしい条件も添わず、けりがつきそうでいくらか気が軽くなりました。
 巣鴨にチフスが流行して、病舎にいて感染いたし、大心配して居りましたが、これも不正型というので熱が低いまま落付き仕合わせ致しました。
 世界の大渦がキリキリと小さな渦巻となって、一つ一つの家庭に波及して参る様はなかなか壮観と申すべきでしょう。
 きょうはおかしな小包をお送りいたします。白粉です。南の方に暮して居る人がおみやげに呉れ、パリのブルジョアのもので、いかにも南向きの箱の色どりですし、なかみも会社が会社ですから一向大したものでないにきまって居りますが、それでもまあ気のかわるだけがお慰みと申す次第です。
 外側のケースに千代紙なんか貼ってしまって益※[#二の字点、1−2−22]妙ですが、これはいつか妹のいたずらで御免下さい。
 粉の白粉は変質したりしないでしょうか、その点も自信ございません。万※[#二の字点、1−2−22]一パサパサでしたら悪いと気がかりですが、あけては僅の興も失われてしまいますし、こうしてみるとまるで押し花をお送り申すようですね。心ゆるせというばかり。
 もうすこし涼しくなり疲れも直りましたら又音楽会でおめにかかれるとたのしみに存じます。十月の定期は短い時間でも聴けるだろうと思って居ります。
 何卒よろしくおつたえ下さいませ
    八日[#地から2字上げ]百合子
  高根包子様

 一九四七年五月二十七日[#「一九四七年五月二十七日」は太字](消印)〔岡山市内山下四番地 岡山県第一岡山中学校政経部宛 駒込林町より(往復はがき返信)〕

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、民主的な社会生活の方法を身につける、ということが最も重大な理想であり、現実であると思います。自立的科学的な社会人として、社会のすべての事がらに判断をもち、よい社会を作るために献身する美を知ること。
二、過去の軍国主義的な教育の間違った影響からぬけ切っていないところが少くないことを知って下さい。
[#ここで字下げ終わり]

 一九五〇年[#「一九五〇年」は太字](推定)〔渡辺泰輔宛(封筒欠)〕

 校正をおかえしいたします。
 直したという以上にたくさんのところを削り、まことに御迷惑をかけました。
 辞典類をかきなれないものですから、よみかえしてみると、これ一つで一つの文学史になってしまっているので、大いにカンナをかけ縮少いたしました。大体百二十行以上けずりました。これでまあすこしはものになりましょうか。
 よろしくお願いいたします。
[#地から2字上げ]宮本百合子
  渡辺泰輔様



底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
※一九二八年九月四日付けの「マクシム・ゴーリキイ宛」書簡は、「外国文学」1958(昭和33)年第6号に、一九四三年九月八日付けの「高根包子宛」書簡は「環 第8号」1985(昭和60)年9月15日発行に掲載されました。
※年月日の下に配置された書簡に関する情報が折り返す際、底本では「〔」で始まる宛先の先頭にそろえて次行を組み始め、二行を年月日の中央に揃えて配置しています。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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