の信仰の力の強いのにビックリした。
どんな苦しい事に出会ったにしろ世の中を又は人を恨まず自分のする事だけをまじめにして行くと云うのは基督《キリスト》信徒にかぎらず大切な事だと思った。
それからいよいよ本式に化学と国語を見た。国語の柴田鳩翁の「道話一則」をよみ次の次の松下禅尼までよんでみた。「東遊記」(橘南谿)のは今度図書館に行った時によんで見ようと思った、兼好法師のがあったんで「徒然草」がよみたくなってしまった。本箱から引ずり出してよみはじめたけれども分らないとこが沢山あるんでノートに書きぬきながらよんで行く、手間ばかりかかる。
気まかせにこのごろ出た単純生活と前から出て居た原本をひっぱりだこをしてよんで見た。これも赤い条だらけになってしまった。
一寸何をしていいかわからなかったので、百科大辞典を片っぱしから見て行く、私はよく、一寸手のあいた時に、字引や言海を見るのがすきだけれどもこれもくせの一つとしてあげるべき筈のものだ。
机が大変よごれたので水色のラシャ紙をきって用うところだけにしき、硯ばこを妹にふみつぶされたから退紅色のところに紫や黄で七草の出て居る千代がみをほそながくきって図学[#「学」に「(ママ)」の注記]紙をはりつけて下に敷いた。
水色のところにうき出したように見えてきれいだ。
私はこの上で書くものとつり合った、きれいな気持できれいな字で書かなくっちゃあいけないようなきがした、あしたかあさって図書館にやっていただこうと思う。読む本の番号や何んかをうつして来ておかなくっちゃふつごうだと思ったのでいつでも持って行くノートにそれに都合のいいような条をひいて置いた。はじめの方は丁ねいに、あとから面倒になったんですこしきたなくなってしまったけれども誰が見るもんでもないからと思ってまに合わして置く。
夕方は何にもする事がなかったもんでもう忘れかけて居るような古いうたをうたったり、「古今集」からすきなうたを書きぬいたりした。夜、御となりで御琴と三味線合奏をはじめられた、楽器の音はうれしかったけれども三味せんのベコベコとうた声の調子ぱずれには少しなさけなかった。
七月二十九日
やたらに旅に出て見たい日だった、ただどっか歩きまわって見たくって何にも手につかないほど……
私は朝めがさめると一緒に旅に出て見たい事と思った。私は坐ってジッとして居ると目の
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング