考えていた。
「どうしたら死ねる?」
天井や戸や窓を見まわした。けれども、人一人を死なすには、それ等はあまり扁平な形すぎる。終に彼女は自分の体までしらべ始めた。
「どうにかして、死ねないものだろうか?」
あっちこっち触っていた手先が、フト髪に触った。
その冷かに、滑っこい感じが、第一に彼女の注意を引いた。次いでその量、その……長さ! に思い至ったとき。
彼女は満足らしい微笑を洩した。そして、さっさと手早く、何の躊躇もなく、櫛を抜いた。ピンを取った。背中に散った髪を、一まとめにして、指の先でくるくるとよりをかけた。それからその端を持って、一杯に頸に巻きつけた。彼女は目を半眼にして、そろそろ、そろそろと力を入れて、締め始めた。
愉快な軽い圧……。ややそれよりも重苦しい圧……少し強い圧……かなり強い……圧。
お咲は顔が赤く、熱くなってきたのを感じた。
頭の方へ皆血が上って、顔中の血管が一本あまさず一杯パンパンになったようで、こわばる心持がする。耳がガンガンいう。息がつまって来た。心臓が破れそうに鼓動する、目が堅くなる……。
お咲は半《なかば》夢中で、ゼイゼイしながら、手に力をこめた。
「もう一息!」
と、思った瞬間、
「お母さん※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
咲二の――夢寐《むび》にも忘られない咲二の声が彼女の耳元で叫んだ。
「お母さん※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
ハッとして手がゆるむと同時に、甘い、すがすがしい空気が、鼻や口から一時に流れこんだ。思わず大きな、深い溜息が出た。けれども、熱く火照って霞んだ彼女の眼に写るものは、相も変らぬ暗い四方と、落ちた髪道具、細く消え入りそうな自分の膝ばかりであった。
彼女はこれから後、幾度も幾度もいろいろな方法で、自殺を企てた。が、いざという際にいつも失敗した。
彼女のうちにあって、まだ彼女を死なせたくない何物かが、ほんとのもう一息というときに、強い力で彼女の心を引き戻したのである。
咲二の叫び声となり、良人の顔となり、或るときは、
「もう少し辛抱すれば、きっと幸になる! きっとなるに違いない!」
という、はっきりとした感じとなって、彼女をまた、ふらふらと生の境域に誘い込んだ。
こうして彼女は病的な死の渇仰と、生に対する衷心の絶ち切れない執着とに苛まれたのである。
堪えられない焦躁と煩悶が心一杯に
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