ことの出来ないあの乙女の肩だろう。乙女ははだかで、真正面むいて、骨ばった片膝を立てて坐り、両腕はそのままだらりと垂れ、二つの眉をつり上げて、今にも唇をなめたいところをやっとこらえていると云いたげな表情である。このような乙女を描いているのは、乙女の良人であった勉が生きていた頃から、知人ではあったがその芸術上の態度では決して一致していなかった画家、むしろそのデカダンスを勉は軽蔑していた、その画家である。頽《くず》れた荒い線で、ここに一人の瘠せて小さいまるむき女性が乱暴に描かれて居り、二つの眼のこりかたまった大さと、腕のつけねや腹の下のくまがそれぞれ体に不似合な猛然さで誇張されている、それがほかならぬ乙女であるというのは何たることだろう。はだかの妻を描いた勉の絵というのをひろ子は一枚も見たことがなかった。乙女はやとわれて着物をぬぐ稼業ではなかった。この素描は、乙女とその画家との最もあらわな絵なのであった。いつかの乙女の態度も思い合わされる。
ひろ子は、渋いきしむような涙が胸のなかをおちる心持で、猶もじっとその絵を眺めた。この絵の中でも乙女はやっぱり昔どおり嬌態をつくることを知らず自分の肉体が自分をうごかしている力をも自覚していない。そのままにいつとは知らず若い彼女が踏み出した人生の道とはちがった流れのなかに漂いはじめている。勉の真面目さや人生への熱意が、妻であった乙女にとっては、反動のようにこういうところにひきつけられて行くような作用としか働かなかったのであろうか。ひろ子の心には、この人生に選択する力をもたない乙女への憐憫とともに、今日の乙女のこのありようが勉の辛苦にみちた生涯の残した誤りの一つだとは決して云えないと、高く叫ぶ声がある。乙女が或る時期つくした善意のためにも、切ない心持であった。そして、また重吉や自分や友子や、そういうみんなの、今日を生きようとしているひたむきな心のためにも。
ひろ子は、たえがたく胸にみちて来るこの感想をもって、その人によりそう思いで、物干しへ出て、何とはなしそこに乾されている毛布の面を撫でた。永い寒気の間幾冬もつづけて重吉の体をまもって来た毛布は、晴天の下で快く熱をふくみ、薄茶色にふくらんでいる。
ひろ子の指先がふとその面で一本の髪の毛にふれた。心づいて見れば、そこにも、ここにも。重吉の髪の毛が、苅りくちもくっきりと三四寸のながさで、
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