伸子がいた。やはり机に向ったまま、
「この間はどうもありがとう」
保に温室を見せてもらった礼をいった。
「どうしまして……」
素子があがるようにいわないので伸子も黙っていた。
「――一服させて貰うよ」
玄関から竹村はひとりであがって来て、素子のいる座敷の敷居ぎわへ自分で座蒲団をもち出した。素子はそのまま仕事をしている。伸子はとよ[#「とよ」に傍点]にお茶をたのんだ。竹村はその辺にあった雑誌をよんでいる。
そのまましばらくの間三人は黙ってばらばらにいたが、伸子にはそれが気づまりだった。そんなに放り出しておくほど竹村にたいして日ごろ内輪のつきあいをしているわけでもない。素子の声にもそぶりにも竹村が予期しないとき来たのをよろこばない調子が見えている。竹村の方ではまた、その感じをどこかでおしきろうとしているところがある。どうせ落ちつかなくなってしまった伸子は机をはなれて、隣座敷へ出て行った。
「どうして? もうあのカーネーションはみんなきってしまったの」
「いやまだ三分の一ぐらいのこしてある。――何君といったっけな、君の弟さん」
「保」
「ああ、保君か、案外くわしいんだね。玄人だよ。土の配合なんかすぐ当てたよ」
「小学校の時分からすきでやってるから」
素子が、腰かけている机のところから、
「うるさいじゃないか、なにも出来ゃしない」
といった。
「そうよ、だから仲間入りした方がいいのよ」
茶の間も、伸子の部屋の裏の長椅子の部屋もあいていたけれども、伸子は竹村をそっちへは案内しなかった。うるさがりながら一つ室にいる方が素子の気持にとって自然なのだった。
「仕様がありゃしない」
やがて、素子も卓のところへ来て坐った。共通の先輩であるロシア語の教授が、最近のソヴェト文学について本を出した。竹村と素子は、その本の噂をした。話題はいくつか移ったが、気のりがせず、伸子はしばしば中座した。
とよ[#「とよ」に傍点]に縫いもののつぎきれを出して座敷へ戻って来てみると、竹村があぐらをかいた膝の前に二つ折りにした盤をおいて、
「何だって――ピヨン、ピヨン?」
ヨをピと同じ大きさで発音している前に、重そうな髪を無造作に束ねた素子が腕組みして、むつかしい顔で坐っていた。
伸子は、その光景がなんだか滑稽で、
「出しかけたの?」
と笑った。
「ピヨン、ピヨンて――なんのことだろう」
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