して、小さい銀の花瓶をもって行った。そのときはよろこんで、箱の上に出して眺めたが、十日ほどたって行ったときには、もうその辺に見えなかった。
「花瓶どこへ行ったの?」
伸子がきくと、多計代は、
「その辺にないかい?」
菓子箱や罐がごたごたと置いてある座敷の隅を、坐ったままひとわたり目でさがした。
「ないねえ、どうしたんだろう。せっかくお前がくれたのに……」
それは、せっかく娘がくれたものだのに、という心持よりも、あんなものでも、ともかくお前がくれたものなのに、というニュアンスで響いた。手袋をもって行ったときも、財布をもって行ったときも、多計代の礼をいう調子から伸子が感じたのは同じことだった。そして、寂しかった。
保は、伸子が育った時分の質素だった佐々の家庭とはまるで違って来ている経済事情や社交の空気のなかに大きくなって、多計代が、数年このかた身につけはじめた変な無感覚さを、自覚しようもない少年から青年への毎日の生活でわけもっている。伸子は、何かの拍子に、冗談のようにいったことがあった。
「わたしの力では、とてもお母様がよろこぶようなものは買ってあげられないからね、親孝行のしようがないのよ。仕方がないから、せいぜい理窟をこねてね、お母様が買えない議論というもので親孝行でもするしかない」
保の生活は無垢ななりに、離れて暮している姉の、単純でひとり立ちの生きかたとは、ずっとかけはなれた環境におかれている。そういう具体的な点を一つ一つたしかめて来て、保の部屋の入口の鴨居にはられているメディテーションという字を思い出すと、伸子は辛かった。自動車でドライヴして、そんな大温室を見られる条件はある。けれども、メディテーションと貼紙している保の若いおさない心に、どんな葛藤がかくされているか、それをその生活の中にあって、見守ってくれるような大人の精神、本当の思いやりというものは、保の生活のまわりにはない。
この間動坂へ泊った朝、おそい朝飯に多計代と二人きりだったとき、伸子は保の貼紙のことを話した。多計代は、保がそんなに純真で、真面目なのだから、間違いないということばかりを強調して、伸子の不安にとり合わなかった。私に保のこころもちは、本当によくわかっているんだから、といった。
「そうかしら……」
伸子は、暗い眼をした。保は前の晩に、なんと云ったろう。
「お母様、なぜだろうね、
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