「結局、行くんじゃないか」
 おはしょりを直している伸子にいった。
「行きましょうよ、一緒に。保にかわいそうだから――ごたついたりしちゃ」
 そういう伸子の心には、きつい激しい思いがあった。もと佃と赤坂に暮していたとき、丁度夕飯時分ふらりと和一郎が来たことがあった。大震災のあと間もないときで、佃が崩れた小壁に紙をはって働いていた。そこへ和一郎が、姉さん、いる? とのんびり入って来た。佃は、家の修繕などに熱中しないこころもちになっている伸子に対して不愉快でいる感情を和一郎に向け、役にも立たず御飯をたべにばっかり来る、という意味を、和一郎がきかずにいられないような調子でいった。しばらくして、和一郎が、姉さん、僕、帰る、といって、伸子が玄関に出てゆくのも待たず出て行ってしまった。それきり、和一郎は佃の家へ来ることがなかった。
 保に、温室を見せてやりたい伸子の、そのこころもちは、温室をやっている竹村への興味などとは全く別のものであった。口にそういわないでも、素子が拘泥している不機嫌は、その点の勘ちがいである。伸子は、そんなことを弁明するさえ必要ないと思った。保をいじらしく思っている心で行動するのに。――素子にかまわず伸子は仕度を終り、もう一度、
「来て頂戴ね」
 そういって、保のいる座敷へ戻った。
 素子は、決心のつかない表情で伸子が出かける玄関口まで来たが、とうとう来なかった。
 伸子は、保に鵞鳥も見せたいと思い、おととい通った道順そっくりに、白い小花の咲いている灌木の茂みのところを行った。
「いる! いる!」
 伸子はよろこんで、
「ほら、いるでしょう」
ときょうもなきたてる鵞鳥の群を見せた。
「七面鳥は桜山でも飼っているけれど、鵞鳥って珍しい」
 夏休みに行く田舎の家のある村の名をいって、保は伸子と道ばたに並んで鵞鳥を見た。保が、柵の外の道からポンポンと手をうって歩くと、鵞鳥はしばらくそれに平行に歩いて来た。
「お留守でなくて、よかった」
 温室の外で働いている竹村の姿が目に入ったとき、伸子はわざわざ来た保のために在宅をよろこんだ。保は、研究的に、土の混ぜあわせ方の比率だの、温度だのについて竹村にききながら、カーネーションの間をゆっくり歩いている。竹村の、年の割に枯れた皮膚の、眉間に大きい縦皺をもつ顔は、温室に花を育てる人として自然に見られた。けれども、上まぶた
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