にこだわらず、多計代は、
「僕が、もし純子と結婚していなかったら、きっと奥さんに求婚したでしょう、だって――」
そういう多計代のこだわりのない満足らしさが、伸子をおどろかした。
「だって――」
じゃ、お父様はどうなるの? 伸子の心に声高くその反問が響いた。
「ありえないじゃないの……そんなこと!」
まばたきがとまったような表情になった娘をちらりと見て多計代は、
「だからさ」
といい添えた。
「ただ、そうだったろう、というだけの話なのさ」
けれども、越智のある厚かましさが伸子の胸に鋭く深くきり込まれた。多計代はそう感じていないらしいけれども、そんな越智の言葉は、母をほめているようで、ほんとは母も父も侮辱しているところがある。そういう、越智に対する伸子の否定的な感情は、越智にも反映していた。母娘の間で意見が合わないようなことがあるとき、多計代は、自分の感情に重ね合わした憎々しさで云った。
「越智さんだってこの間云っていたよ。伸子さんという人は、破壊のために破壊をする人だって――」
そんなとき、伸子は唇のふちが白くなってゆくのが自分でわかったほど激しい嫌悪にとらわれた。
客間のドアは、ぴったりしめられている。越智に対する伸子の批評に向ってしめられている。伸子は、そのハンドルにかける手をもっていない自分を感じるのであった。
心のおき場がなくて、伸子は保の勉強部屋へあがって行った。
二階の日あたりのよい畳廊下で赤いメリンスしぼりの蒲団をかけ、小さいつや子が、お志保さんに本をよんで貰っていた。背中をかがめて膝の上に支えた手の本をよんでいるお志保さんのうしろに伸子が現れると、
「ああ、お姉ちゃまが来たア」
つや子が、いかにも、その変化をよろこぶように声をあげた。
伸子は、つや子が病気だとは知らなかった。
「どうしたの? 又ゼーゼー?」
末子のつや子には、喘息の持病があった。
「二三日前雨がふりましたでしょう? あのとき学校から、ぬれておかえりになったもんですから」
「なに読んでるの?」
「アラビアン・ナイトでございます」
つや子は、左右にたらした短い編下げの頭をふるようにして、
「お姉ちゃまア」
と伸子を見あげた。
「ここへ坐って! あったかよ」
伸子は、ふとんと同じメリンスしぼりのねまきを着ているつや子を半分自分の膝によりかからせた。
「つや子ちゃん、
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