もない頃佐々泰造が、おどろいたように、
「砂場嘉訓という男は、一風変っているね、金勘定をしらないらしいよ」
といったことがあった。
「まさか」
 多計代が、否定した。
「あれだけ苦学までした人間じゃありませんか」
「若いときは、それゃ苦労したろうが、とにかく、日本の金の勘定はよくわからないらしい」
 泰造と一緒に出かけて、食事の支払いにけたちがいの金を出し、それを注意したら、金の勘定は不得手だからたのむと、札入れを泰造にまかした、というのであった。誰と歩いても、砂場と歩いたひとは、みんなそういうことを云った。
 日本金の勘定を覚えない砂場嘉訓は、佐々夫婦の肖像を描くこともなかなか実現しなかった。
「砂場嘉訓て、ああいう人間だったと見える」
 そういって、多計代は、砂場が、佐々に紹介される知名の実業家や富豪などの肖像を、どんな高い画料で描いているかというようなことばかり話す、と伸子に告げた。
「あてにする方がばかなんだろう。なにがなんだかわかりゃしない」
 砂場嘉訓は日本へ帰ってからはいわゆる画壇というものには余り接近せず、じかに、上流の依頼者へ結びついて行った。フランス絵画の影響のつよい日本の洋画の若い世代は、アカデミックな嘉訓が日本に帰ろうと帰るまいと無頓著らしかった。彼は渋谷の方の、二階に浴室の設備まである洋館に住んでいた。
 多計代はこの前会ったときからだの工合がわるかった嘉訓の細君の安否をきき、
「お宅のジョージさん、やっぱりドアのハンドルをみがいていますか」
ときいた。
「みがいています」
 砂場嘉訓は重々しく首をうなずけると一緒に、右手を自分の前でふらりとふった。
「いまは、子供部屋のハンドルですハハハ」
「お母さんのお手伝いにもなって、いい道楽をおしこみになったこと!」
 砂場嘉訓は、多計代のその言葉に答えず、ちょっとだまっていたが、上まぶたをひき上げるように伸子の方を見て、
「伸子さん、外国へはいつ立ちますか?」
といきなりきいた。今度の計画を砂場が知っていようとは思いがけなかった。伸子は、
「どうして御存じ?」
 素朴に意外さをあらわしてきいた。
「わたしのところへは毎日、新聞記者が来ます。いろいろな人がどっさり来ますからね」
「立つのは十一月です」
「きょう何日? 十月二十日ですね、もうじきだ」
 泰造が帰るまで、と多計代は砂場嘉訓が来るときまっ
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